愛と平和は、人工物なの。
愛と平和を願ってみるけれど、
人工物なのに神頼みするのも変な話。
言葉の枠組みだけに囚われて、
人工物ってことを時々忘れそうになる。
「愛と平和」
わたしがいて、相手がいて、
お互いがお互いを想い、願わなければならないもの。
例えるなら、ノックみたいな。
打ちやすい球を投げて打たせてあげなきゃいけない。
でもなんだか、すぐに試合を始めてしまうのが人間の性なのか。
カーブだの、ナックルだの投げ始めて。
全然打てない!ってバッターが騒ぎ始めたら、
試合終了のカウントダウンが始まる。
途中でピッチャーが、甘い球を投げるか、
それともバッターが変化球に慣れていくか、
そうすればカウントダウンはぴたりと止まる。
ピッチャーが甘い球だと思って投げてても、
バッターには速すぎるかもしれない。
ピッチャーの野郎、変な玉投げやがって、、、!!
と思っても、実は手が滑っただけかも。
そんなこと、当の本人にしか分からない。
愛なんてそんなものだ。
これが愛だ!って簡単に証明できる数式があればいいのだけど。そんな簡単なもんじゃない。何通りもの問題があり、何通りもの答えがある。
だから、問題と答えを照らし合わせて、
少しずつ少しずつ、試行錯誤して、
証明方法を考える。愛って地道だ。
式も答えもバラバラだったら、愛には辿り着かない。
式だけでも、答えだけでもダメなんだ。
こうやって地道に生み出した愛があったとしても、
平和とは限らない。愛と平和は必要十分条件じゃない。
だけど、平和は愛なしでは起こり得ない。
自然発生もあり得ない。
人が地道に作り出した愛の塊で出来た人工物なのだから。
お前、声小さいよ。聞こえない。
え?おまえあの大学目指す?辞めとけって。
気が利かない子だねーほんとに。
あの時投げ込まれたナイフが、槍が、刺さってくる。過ぎ去ったはずの日々なのに。今だに。
過ぎ去った日々ってなんだよ。
今、わたしが己と信じて対面しているこの時間が、
過ぎ去った日々によって羽交締めにされている。
過ぎ去った日々たちの鎖。ずっとずっと付き纏ってくる。
誰か、持っていませんかね、いとも簡単に引きちぎれる秘密道具。
ハサミじゃ痛いよね。切り刻んでしまいたいんだけどね。
鎖がわたしに巻きつき過ぎて、
粉々にしたらさ、私も、消えてなくなってしまうと思うんだ。
もういっそのこと、包帯男の鎖バージョンでハロウィンショーにお忍びで出ようかしら。
ハロウィンショーに出るか、鎖に窒息させられるか、
それとも、粉々にしてしまうか。
結局、わたしは消えてしまった?笑
過ぎ去った日々と歩いているのがわたしなの?
過ぎ去った日々がわたしなの?
過ぎ去った日々と関係なくなったらわたしじゃないの?