「今の世には、愛が必要だ。」
師は、この乱世にそう説いた。
師には弟子が約三百人ほどいる。
しかし、その信念、その教えを理解しているのは極少数。
皆、師の戦を学ぶために此処にいる。
私も、その教えを理解出来せず、戦を学ぶ弟子のひとりだ。
師は、弟子たちが自分の信念を理解していなくても、
私のように、師の教えと全く反対の信念を有していようとも、
決して、弟子を否定しなかった。
それどころか、
寧ろ、師は信念に興味を示せば、感動するほどであった。
人間なら、誰しも有する驕りや傲慢さが全く無い人だった。
優れた戦の才覚を有しながらも、誰よりも平和の世を望んだ人。
名は、墨子。
唯一、今生で私が尊敬している御方だ。
気づかないで、お願い。
わたしは、あなたの母では無いことを。
わたしは、あなたを恨んでいることを。
わたしは、あなたが成長するたびに複雑な感情を懐くことを。
あなたとわたしの関係に、このまま疑問を懐かないで。
わたしは、あなたを心から大切に思い、
愛していながらも、恨んでいることを赦して。
お願い、このまま気が付かないで。
どうか、このまま、ずっと……子どものままでいて。
わたしには、かつて名前が無かった。
あるのは、数字とラテン文字の羅列だけだった。
何故かというと、わたしの身分は奴隷より更に低いからだ。
わたしのような身分を、道具や武器、人形や傀儡という。
その言葉が示すとおり、わたしたちには主がいる。
今のわたしには、名前がある。
今は亡き主様が有するもの、全てを貰った。
名前に身分、富など……数え切れないほど頂いた。
あなた様が為せなかった、
全てをわたしが受け継ぎ、少しでも成すために。
あなた様の苦しみと悔しさまでも受け継ぎ、
あなた様が描いた、理想の世界を実現するために。
わたしは、あなた様と交わした約束を果たすべく、今日も努めて参ります。
目は閉じ、口は弧を描く。
上品に微笑みながら、さり気なく気遣う。
時には甘い言葉を囁やき、時には励ましと労いの言葉を掛ける。
あなたは触れられる前に、その手からすり抜けてしまう。
あなたを欲してしまえば、そこには居なくなってしまう。
口の中で、甘く、蕩けて、無くなる。
そう、あなたは、まるで蜜のよう。
楽園という名の、あなたという名の、
鮮烈な、甘く、蕩ける、毒を知ってしまえば、
もう他のものでは、満たされない。
生きる意味など、私には無い。
唯、生きたから、生きる。
唯、それだけ。