果てしなく続くこの道。
分岐点がいくつもあるこの道は、一体どこに続いているのだろう。
どこで終わりを迎えるのだろう。
選んだ道。選ばなかった道。
それぞれの選択で後悔することがある。
あの時ああすれば良かった、こうすれば良かったと。
でも前に聞いたことがある。
選ばなかった道はもう腐り落ちて存在しないんだと。
だから今選んだ道を歩くしかない、と。
選んだこの道の先に何が待っていても。
#この道の先に
無数に張り巡らされた赤い糸。
一つ一つ手繰り寄せて結んでみるけど、どれもこれも途中で切れてしまうものばかり。
結び方が悪かったのか、それとも最初から糸が弱かったのか…。
どうしたら本物の糸に巡り合えるのだろう。
結んで絡まってぐちゃぐちゃになって。
解けて、また一本になって。
もしかしたら私の糸なんて、もう価値がないのかも。誰にも見えていないのかも。
それでも、もしも…本物の糸に巡り合えることが出来たなら。
たまたま巡り会えたとして、最後まで切れない補償はないけれど。
お互いの糸を紡ぎ合って、深く折り重なっていけたらいいなと思う。
#赤い糸
鮮やかな入道雲をいくつか覚えている。
一つ目は、子どもの頃祖母の家に行くときに車の後部座席から眺めていた入道雲。
当時は都会に住んでいたから、都会ではそんなに入道雲を意識することはなかったけど、田舎に行くと空はどこまでも広がっていて入道雲もこんなに大きいんだと感動していたような気がする。祖母の家に遊びに行くという非日常感も相まって、私の中では特別な入道雲のひとつ。
二つ目は、中学生の頃に親友と見た入道雲。
夏休みだったと思うけど、学校帰りに親友が住むアパートに遊びに行ったことがある。そのアパートの一番上の階まで登って、二人で隣同士になって座って。今考えるとよく誰も来なかったなと思うけど。日中だったからかな。
特に話すこともなかったけど、ふと空を見上げたときに大きな入道雲が浮かんでいて。「入道雲、大きいね。」なんて他愛もない話をして。そのときは中学2年生だったけど、これからの自分たちの進路について思いを馳せていたような気がする。
これは私の青春の入道雲。
入道雲はこれからもいろんな景色を私に見せてくれるんだろうな。
#入道雲
もう少しで夏が始まる。
夏が始まるワクワク感も好きだけど、夏の終わる間際の切ない感じも好き。
少しずつ夕暮れが早まって、気温も下がってきて涼しくなっていって。
ふと今年はまだ夏祭り行ってなかったって慌てたりして。
花火も買ってみるんだけど、大事なときに出し忘れて夏の終わり頃に思い出すんだよね。
線香花火が一瞬でパチパチ燃えてすぐ消えてしまうのが儚くて。
今年はどんな夏になるんだろう。
一瞬で終わる儚いものだとしても、素敵な夏を過ごせますように。
#夏
君と最後に会った日はいつだったっけ。
君と、君も、それから君と。
今まで沢山の君と出逢いと別れを繰り返して、君と最後に会った日はもう記憶の彼方で。
何をしているのだろうか。
生きているのだろうか。
私は君の中でどんな風に記憶されているんだろう。
…あまり良い記憶ではないかもしれない、残念ながら。
どの最後の日も、きっとどうしようもない別れだったのだと思う。
その瞬間はいろんな感情が渦巻いて…怒りとか悲しみとか。
でも一緒に過ごした時間は今でも色褪せない宝物。
もう一生会うことはないとしても。
私は君との最後じゃなくて、君と笑い合った日々をずっと覚えている。
#君と最後に会った日