千切れるほど、冷え込んだ指先。
熱いお湯に浸しても中々温まらない、頑固な冷え。
体温だけでない、冬の風は、潤いも奪っていく。
ハンドクリームは必須品だ。鮮やかな黄色い果実が散りばめられたパッケージ。
蓋を開けただけで香ってくる爽やかな柑橘。
たっぷりと掌にのせ、一指一指、丁寧に塗り込んでいく。
潤いを与えるように。マッサージしながら、血を通わせる。肌に馴染ませる。丁寧に、丁寧に。
手首まで塗り広げると、もうすっかり、ゆずの香りに包まれる。
広い広い空でした。
一面、分厚い雲で覆われていて、時おり雨が降り注ぎます。冷たい雨です。
傘を差したその人は、毎日のように僕を刺しました。けれど、どれだけ血が流れようと、それが人目に触れる前に流されてしまうのです。
傷つく僕を憐れに思ったのか、優しい人が屋根のある場所へ連れて行ってくれました。
広い広い空でした。
けれど僕に許されたのは、ほんの僅かに切り取られた丸い空です。
限られた空を与えてくれたその人は、全ての窓に鍵を掛けました。
雨粒の冷たさに凍えることはもうないのです。しかし、ときおり差し込む光の温かさや、そよ風の心地よさを感じることもできません。
閉じ込められた僕を憐れに思ったのか、優しい人が太陽のある場所へ連れて行ってくれました。
広い広い空でした。
太陽がギラギラと輝き、雲ひとつありません。
僕を外へ導いてくれたその人は、休むことなく大空の下を歩き続けました。沢山の人が、同じように歩き、走り、時には踊っていました。
風を感じることかできます。でもそれは、肺を焼き尽くさんばかりの熱風です。湖も、川も、水溜まりもなく、休む事も許されませんでした。
枯渇する僕を憐れに思ったのか、優しい人が水をくれました。
広い広い空の下、飲み干した水はとても冷たく、僕を潤してくれました。はじめて、僕は生きているんだと思えました。
だから僕は、それが毒だと気付いても、嬉しかったのです。
死にゆく僕を憐れに思ったのか、優しい人達が花を手向けてくれました。
広い広い空でした。からっぽの命で見上げた青は、今までで一番綺麗でした。
恒例行事だ。職場の忘年会での、演奏は。
クリスマスソングを二曲ほど、大体10名前後で演奏する。
私はいつも、若いからとか、遠い昔にピアノを習っていたとか(うっかり口を滑らせてしまった)そんな理由で、二つから四つ担当することになっている。
年配の人や楽譜が読めない人は一つ。それ以外の人は二つ。足りない音があれば、私がなんとか補っている状態。
今年はきよしこの夜と、ペチカ。子どもでもできるような簡単な楽譜で、短い構成になっている。
そのたった数分のために、仕事終わりや休みの日に二時間ほど練習する。
非常に面倒だし億劫だし……やりたくないのだが、毎回出されるちょっとお高いお菓子と、特別手当の誘惑に負けて律儀に参加しているのだ。
本番は来週末。あとわずか。
今日も白い手袋をはめて、ハンドベルを鳴らす。
毎年恒例、忙しい中での、唯一のクリスマスらしさ。
私、ここにいちゃいけないな。と。
そう、感じてしまう事がある。
例えば、仕事中。暇な時間に交わされる、たわいない会話。その最中。
例えば、食事中。家族と食卓を囲って、今日あったことを報告しあう。その最中。
どうしてそう思うのだろう?
方言だ。
関東から嫁いできた私は、まだこの地方の方言に馴染みがない。一瞬、意味を考えてしまう言葉もある。
そんな時、私は本来ここにいるべきではなかったのかもしれないな、と感じてしまう。
一抹の寂しさ。
冬の寒さは、末端からじわりじわりと心身を凍らせる。
ホットココアだとか使い捨てカイロでは、到底太刀打ち出来ない。
だが今の私には、今年の初めに生まれたばかりの息子がいる。
膝に乗せてギュッと抱き締めると、お腹からほんのりと熱が伝わり、心まで温まる。
小さくて可愛いぬくもり。時おり私を見あげては、ニコニコと笑ってくれる。
温泉につかるより、お鍋を囲うより、ずっとずっと、あたたかい。