隣を歩く彼女が俯いて、もうかれこれ三十分くらいは経っただろうか。自転車を引きながら左腕に巻いていた腕時計を覗き込んだ。俺よりも頭一個分低い位置からは、微かに鼻を啜る音がする。
どうやらまだ泣いているらしい。
「たかがキーホルダーひとつなくしたくらいでそんなに落ち込むなよ。また新しいの買えばいいじゃんか」
「たかがじゃない! あれはこの世に100個しか存在しない限定品なの! 簡単に買えなんて言うな!」
そんなに貴重なものなら、鞄なんかにつけて持ち歩かなきゃ良かったのに。──なんてことを言ったらたぶん怒鳴られるので、余計なことは言わないけれど。
「今日は朝から本当に最悪だよ。自転車が壊れて学校は遅刻するし、お気に入りのキーホルダーはなくすし、しかもちょっと気になっていたひとつ上の先輩に彼女がいたことが発覚するしで、もうさんざん!」
彼女の目が涙目から、いささか鋭く吊り上がったところで、俺は隣から目を逸らすように空へと視線を上げた。清々しいほどに晴れた日の放課後に、実は長年片思いをしている幼なじみとこうして帰路についている。
こいつの自転車が壊れたおかげで、家が隣同士の俺は、半ば強制的に自転車の荷台を彼女に空け渡して一緒に登校することになったし、お気に入りのキーホルダーをなくした悲しみを、たぶん一番ぶつけやすいからだとは思うけれど、俺に甘えるように愚痴ってきては、今もまだこうして俺の前に無防備な顔を晒している。しかもいま初めて聞かされたお気に入りの先輩の存在に、こちらが焦りを覚える間もなく振られたらしい。
彼女の最悪な一日が俺にとっては予期せぬラッキーデーだったなんて、そんな最悪なことを口に出して言うつもりはないけれど。
思うくらいは許されるだろう。
なんせこいつに恋してから今日まで、こいつに振り回されっぱなしの俺の最悪な日々は、片手ではもう数え切れないくらい、山ほどあるのだから。
【最悪】
「これは、二人だけの秘密だよ」
そう言って彼と約束を交わした。互いの小指を絡めると、彼は嬉しそうに、けれど、どこか鋭い眼差しを湛えて微笑んだ。そしてその数ヶ月後、白い病室の白いベッドの上で、あっけなく彼は逝ってしまった。
私と彼の二人だけの秘め事を、私のこの胸に刻み込むようにして残したまま。
まったく、何てことをしてくれたのだ。
きっと彼は約束を交わした二人だけの秘密を、私が彼に許可もなく誰かに打ち明けるなんて、できないことをわかっていたのだろう。
こうして私は彼を過去の思い出として、誰かに話せなくなってしまった。
こんなことになるなら、秘密なんて簡単に持たなければよかった。
私の頰を熱い雫が伝う。だって私は彼のことを、忘れたままで生きられなくなってしまったのだから。
【誰にも言えない秘密】
膝を抱えて踞る。
狭い部屋の真ん中で。
たった一人きり。
そこで僕は想像する。
この世のあらゆる事柄について。
そこではどんなことも自由で。
そこではどんなことも許される。
そんな世界に浸りきり。
そうして僕は傷だらけになったこの心を。
幾許かの間だけ癒している。
そうしないと。
現実に折り合いがつけられない。
この広い世界のどこかにある。
この狭い部屋の真ん中で。
今日も僕は何かを変えたくて藻掻いている。
【狭い部屋】
本当に大切だった。
報われずに終わってしまった想いだけれど。
それでも、恋をしていた時は苦しいくらいに幸せだった。
この大切さを知っているのは私だけで。
この大切さを糧にしていくのも私だけだ。
【失恋】
嘘吐きが得をして、正直者が馬鹿を見る。
そんな世の中にしてはいけない。
なんて、そんなことをどこかのお偉いさんが言ったとしても。
ふと思うのだ。
果たして正直は美徳だろうか。
正直過ぎて墓穴を掘った愚か者を、たびたび目にすることもある。
結局はどんな時代も、嘘吐きだろうが、正直者だろうが、馬鹿な奴が馬鹿なのは変わらない。本音も建前も利口に使いこなすことが、上手く世の中を回すには必要なんじゃないだろうか。
──と言うのが、自分の正直な感想である。
【正直】