道の途中で立ち止まる。
振り返るとそこにはたくさんの思い出とつながり。
あの日の出会いがあったから、あの時の僕は誰かに優しくできた。
あの日の苦労があったから、あの時の僕は襲いかかる困難に立ち向かえた。
あの日の後悔がまだ拭えないから、今も僕は悩みながら考える。
もう同じ場所に帰ることはできないけれど。
あの日に生まれることができたから、僕はこうしてここにいる。
【過ぎ去った日々】
「この世にお金より大事なものは確かにあるよ」
今は使われていない古ぼけた倉庫の中。
薄暗い倉庫内の中央に置かれた簡素なパイプ椅子。そこに座った男は、静かにそう告げた。
「でもさ、お金がないとお金より大事なものを守ることができないのも確かなんだよね」
カチリと不穏な音が響く。
男が右手に握った銃を、すぐ眼前で両手を縛られたままひどく項垂れ、正座をしている別の男の頭に、ぐいっと押し付ける。
「そして君は、そんな僕のお金に手を出して持ち逃げしようとしたんだ。つまりさ、いま僕が君に向けているこの銃は、いわば正当防衛みたいなものなんだよ」
男は冷たく言い放つ。
「だって君は僕の大事なものを、危うくしたんだから」
男は躊躇いなく引き金を引いた。
衝撃と共に男の眼前にどさりと重いものが落ちる。
「あーあ、まったく・・・・・・」
男は心底嫌そうに呟いた。
「だから嫌いなんだよ。金に目が眩む奴は」
男は椅子から立ち上がる。背後に控えていた幾人かの部下を呼び、散らばった諸々を片付けておくようにと命令した。
「ボス、この後はどうなさいますか?」
部下の一人が小声で聞いてくる。男はくるりと首だけで振り返った。
「もちろん帰るよ。家族の元にね」
車、回しといて、と言うと同時に、窺いを立ててきた部下がすぐさま車を取りに先へ駆けていく。
男は持っていた銃を上着の内ポケットにおさめると、颯爽とした足取りでその場を後にした。
【お金より大事なもの】
月明かりに照らされた
夜道をひとり
寂しく歩く
そうしていたら
夜空に浮かぶお月様が
頭上から語り掛けてきた
ひとりじゃないよ
見守ってるよ
【月夜】
目の前に佇む青年には、無数の糸が絡みついている。俯き加減の青年はじっと動かない。身体に幾重にも巻きつく糸によって、彼は身動きがとれなくなっていた。青年の表情は暗く澱み、目元には濃い影が浮き出ている。
どうやらなかなかにマズい事態のようだ。
「やあ」
軽く呼び掛けてみる。こちらの声に反応し、青年がふと顔を上げた。
「誰ですか?」
「通りすがりのとある剣士さ」
俺は手にしていた刀を示す。青年は覇気のない瞳を俺へと向けた。
「僕に何か用ですか?」
「ああ、ちょっと頼まれてね。君のその・・・・・・」
俺は青年を指差す。
「巻き付いた糸を切りに来た」
そう言った途端、青年が目を剥いた。無表情だった顔は驚愕に歪み、小刻みに身体が震え出す。
「・・・・・・嫌だ」
明らかな拒絶の態度。俺は構わず刀を鞘から抜いた。青年は「やめて」と掠れた声を出す。
「これは大切な僕の繋がりなんだ」
「・・・・・・うん」
「手放したくないんだ!」
「それでも俺は切るよ。だって──、見るからに苦しそうなんだもの」
青年の震えがぴたりと止まる。けれど、目は未だに見開かれたままだった。
「苦しくなんか・・・・・・ない」
「そうかな? 君のその首に巻き付いているのは? 腹を締め付けているのは? 肩に食い込んでいるのは? 君がそんなに弱っているというのに、雁字搦めにしてくるものたちが、大切だっていうのかい?」
ひとつずつ指で示して教えてやる。青年が俺を視界に入れた。その瞳はどこか虚ろで翳っていたけれど、微かに揺らめき何かを訴えようとしている。
「・・・・・・でも、怖いんだ。この繋がりがなくなったら、独りぼっちになりそうで」
俺は柄を握る手に力を込める。構えたと同時に刀身がカチリと音を鳴らした。
「大丈夫さ。君は独りぼっちになんかならないよ」
「・・・・・・そんなの、信じられない」
「なら、俺がそれを証明しよう」
言い終わると同時に素早く腕を動かし、青年に絡みついていた糸を次々に薙ぎ払った。ぷつり、ぷつり、と途切れた糸が、ぱらぱらと空中を舞う。
「ほら、見てみなよ」
刀を鞘に収める。ポカンと丸く口を開いた青年が、ある一点を注視していた。
「どうしてこれだけ残したんですか?」
「残したんじゃない。切れなかったんだよ」
青年の手首の周りには、細い糸が留まっていた。糸は青年の手首から伸び、真っ直ぐに前方へと続いている。
「この糸の先に、君を待っている人がいる」
その意味をはかりかねるように、青年は戸惑い気味にこちらへと焦点を結んだ。
「俺に君の糸を切るように依頼した人だ」
青年の目に光が灯る。思わずといった様子で、彼は一歩足を踏み出していた。
「さあ、早く行ってあげて」
青年は前へ進んだ。躊躇いがちにだが、一歩一歩その足取りを動かし始める。
「あ」
何かを思い出したように青年は立ち止まる。そしてくるりと反転すると元いた場所にしゃがみ込み、地面に手を這わせていた。
「忘れ物?」
「・・・・・・あの、やっぱりこれも持って行きます」
青年の両手には、先程切った糸の切れ端が乗せられていた。
「また苦しくならない?」
「わかりません。でも、やっぱり全部は捨てられません。たくさんの繋がりがいいものばかりじゃないことも、本当は分かってたんです。でも手放せなかったのは、いつかそれが代え難い絆に変わるかもしれないと、諦めたくなかったからなんです」
青年の顔つきはもう翳っていなかった。それどころか、どこか吹っ切れたような清々しさが窺えた。
「そうか。君がそう決めたなら、俺はもう何も言わないよ」
青年がぺこりと頭を下げて駆けて行く。
大丈夫。きっとあの向こうにいる人と青年の間には、何よりも代え難いものがすでに生まれているはずだから。
俺は青年の背中を、手を振って見送った。
【絆】
たまにはワガママ言ってもいいよ
ベッドに横たわっていた彼女がそう言った
僕はゆっくりと彼女の手を取って
僕の頬に持っていき
そのまま僕の手を重ねる
何でそんなこと言うんだよ
我慢できなくなるだろ
僕が責めると彼女がフフフっと声を漏らす
ごめんね
彼女の可愛らしい大好きな笑顔
僕の心臓が強く鼓動を打っていた
こんなこと言いたくなんてなかったのに
──僕を置いて死なないで
彼女は優しく笑う
ごめんね
病院の真っ白な部屋の中
僕は彼女の手を握りしめ
我慢できずに泣いてしまった
【たまには】