目の前に佇む青年には、無数の糸が絡みついている。俯き加減の青年はじっと動かない。身体に幾重にも巻きつく糸によって、彼は身動きがとれなくなっていた。青年の表情は暗く澱み、目元には濃い影が浮き出ている。
どうやらなかなかにマズい事態のようだ。
「やあ」
軽く呼び掛けてみる。こちらの声に反応し、青年がふと顔を上げた。
「誰ですか?」
「通りすがりのとある剣士さ」
俺は手にしていた刀を示す。青年は覇気のない瞳を俺へと向けた。
「僕に何か用ですか?」
「ああ、ちょっと頼まれてね。君のその・・・・・・」
俺は青年を指差す。
「巻き付いた糸を切りに来た」
そう言った途端、青年が目を剥いた。無表情だった顔は驚愕に歪み、小刻みに身体が震え出す。
「・・・・・・嫌だ」
明らかな拒絶の態度。俺は構わず刀を鞘から抜いた。青年は「やめて」と掠れた声を出す。
「これは大切な僕の繋がりなんだ」
「・・・・・・うん」
「手放したくないんだ!」
「それでも俺は切るよ。だって──、見るからに苦しそうなんだもの」
青年の震えがぴたりと止まる。けれど、目は未だに見開かれたままだった。
「苦しくなんか・・・・・・ない」
「そうかな? 君のその首に巻き付いているのは? 腹を締め付けているのは? 肩に食い込んでいるのは? 君がそんなに弱っているというのに、雁字搦めにしてくるものたちが、大切だっていうのかい?」
ひとつずつ指で示して教えてやる。青年が俺を視界に入れた。その瞳はどこか虚ろで翳っていたけれど、微かに揺らめき何かを訴えようとしている。
「・・・・・・でも、怖いんだ。この繋がりがなくなったら、独りぼっちになりそうで」
俺は柄を握る手に力を込める。構えたと同時に刀身がカチリと音を鳴らした。
「大丈夫さ。君は独りぼっちになんかならないよ」
「・・・・・・そんなの、信じられない」
「なら、俺がそれを証明しよう」
言い終わると同時に素早く腕を動かし、青年に絡みついていた糸を次々に薙ぎ払った。ぷつり、ぷつり、と途切れた糸が、ぱらぱらと空中を舞う。
「ほら、見てみなよ」
刀を鞘に収める。ポカンと丸く口を開いた青年が、ある一点を注視していた。
「どうしてこれだけ残したんですか?」
「残したんじゃない。切れなかったんだよ」
青年の手首の周りには、細い糸が留まっていた。糸は青年の手首から伸び、真っ直ぐに前方へと続いている。
「この糸の先に、君を待っている人がいる」
その意味をはかりかねるように、青年は戸惑い気味にこちらへと焦点を結んだ。
「俺に君の糸を切るように依頼した人だ」
青年の目に光が灯る。思わずといった様子で、彼は一歩足を踏み出していた。
「さあ、早く行ってあげて」
青年は前へ進んだ。躊躇いがちにだが、一歩一歩その足取りを動かし始める。
「あ」
何かを思い出したように青年は立ち止まる。そしてくるりと反転すると元いた場所にしゃがみ込み、地面に手を這わせていた。
「忘れ物?」
「・・・・・・あの、やっぱりこれも持って行きます」
青年の両手には、先程切った糸の切れ端が乗せられていた。
「また苦しくならない?」
「わかりません。でも、やっぱり全部は捨てられません。たくさんの繋がりがいいものばかりじゃないことも、本当は分かってたんです。でも手放せなかったのは、いつかそれが代え難い絆に変わるかもしれないと、諦めたくなかったからなんです」
青年の顔つきはもう翳っていなかった。それどころか、どこか吹っ切れたような清々しさが窺えた。
「そうか。君がそう決めたなら、俺はもう何も言わないよ」
青年がぺこりと頭を下げて駆けて行く。
大丈夫。きっとあの向こうにいる人と青年の間には、何よりも代え難いものがすでに生まれているはずだから。
俺は青年の背中を、手を振って見送った。
【絆】
3/6/2023, 2:33:45 PM