わたゆめ

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7/27/2025, 8:53:16 AM

涙の跡

涙の跡が乾いても、ずっと悲しい。

涙をぬぐうこともできずに、後から後から涙が出た。
嗚咽が止まらない。

なんで、なんで、
原因を考えれば考えるほど、どうしてこうなった?
と感情がぐちゃぐちゃに壊れていく。

やめて、と叫ぶ自分の声に狂った音がする。

お願いだから、家族で争わないで。

目の前で繰り広げられる光景は
何の解決にもならない争いだ。
勝ったも負けたもない争いだ。
両者にとって傷をつくるだけなのに
絶対に後から後悔すると分かっているのに
何でこんなことが起こるのか?

その原因の一端に家族である私も関わっている。

手をあげたのは私ではないが、手をあげることになった環境を作ったのは私かもしれない。

かもしれないと言っている時点で責任転嫁も甚だしい。
家族である時点で責任は私にもある。

涙をぬぐう元気もないし、涙の跡が乾いても
私の心はぐちゃぐちゃだ。
どうしてこうなった。

そして、家族がぐちゃぐちゃになっても明日はやってきて、私は仕事にいかなきゃならない。

最悪だ。




7/26/2025, 8:40:38 AM

半袖

半袖の時期になると無駄毛が気になる。
袖の長めのシャツを買うとなると、デザインも限られて種類も減ってくる。
けど、必ず袖の長めの服を買う。
私が私を守るために。

7/24/2025, 12:53:47 PM

もしも過去へと行けるなら

過去に行って自分に会いたいとは思わない。
きっと過去の私はびっくりして取り乱す。
そんなオカルトを体験したら私は怯えて、人生を真っ直ぐに歩けないだろう。

中学生のときオカルトに遭遇したことがある。
部活帰りに家のインターホンを鳴らして扉が開くのを待っているとき、背後に人影が伸びてきた。
人影の形から見て男のシルエットだった。

私は帰宅時間が被った弟のいたずらだろうと思って、弟の名前を呼んだ。影がパッと駆けていく。

私は追いかけた。けど、人影の正体を突き止めるには足が遅かった。

すると、玄関の鍵が解錠された音がして弟が顔を出した。

もしも過去へと行けるなら
あのときの人影の正体を知りたい。


変えたい過去はあまりない。
今の自分に満足しているからだ。
例え不満足だとしても、今から変えていけばいいと思っている。
取り返しのつかないこともしていないつもりだ。

唯一あるとするならば、中学時代から日焼け止めをきちんと塗る習慣を作っておけばよかった。
ニキビも放置せずに皮膚科に行けばよかった。

それに、今現在、取り返しのつかないことが進行しているかもしれない。

例えば、親孝行をしていないとか、結婚相手が見つからないとかだ。

これは後から取り返しがつかなくなって、後悔するかもしれない。

もしも過去へと行けるなら

私が生まれた日に行きたい。
父や母、祖父母たちがどんな風に私の誕生に立ち会っていたのかを知りたい。

私はもっと自分と自分の人生を大切にできると思う。

7/23/2025, 1:07:05 PM

True love

真実の愛

と言えば、アナと雪の女王を思い出す。

エルサの氷の魔法でアナの心が凍ってしまう。
クリストフはアナを助けるため、真実の愛を求めてハンス王子の元へとアナを連れていく。
しかし、ハンス王子はアナを裏切った。
エルサによる真実の愛によってアナにかかった氷の魔法が解けていく。

今でも分からない。
エルサによる真実の愛とは何なのか?
姉妹愛なのだろうか?

ディズニー映画は歌こそ素敵で魅力的だが、
ストーリーはいまいち分からないことが多い。
いつもミラクルが起こる。まぁ、感動する。

7/22/2025, 1:04:11 PM

またいつか

日本語の使い方を間違えてトラブルになったことがままある。

あれはまだ高校生のとき、帰り道に友人と街に寄って部活の顧問へのプレゼントを選びに行くことになった。

いつもは降りないバス停で下車して、雑貨屋さんに入った。生活用品から文具まで様々な商品を見ては、顧問に喜んでもらえるものを話し合った。

なかなか意見がまとまらず、いつの間にか顧問のプレゼント選びからウィンドウショッピングへと目的がずれてきたこともあって、私は「また明日にしよ。」と友人に提案した。

我が家ではこの言葉は「今日は無理しないでおこうよ。またの機会にしよ。」というニュアンスがある。

友人も私が乗り気ではないことを察して、その日はお開きになった。

次の日、学校が終わってバスに乗ると、昨日の友人から携帯電話に着信が入った。
私はすぐに嫌な展開を想像した。

案の定、友人は怒っていた。
「今どこ?
昨日、また明日にしよって言ったじゃん。」

「また明日にしよ」ではなく、「またの機会にしよ」と言えばよかったのだ。

家族ならば、「また明日」は「またいつか」の意味にもとれるが、友人にはそうはいかなかったことを学んだ。

そして、友人は私を言葉に責任のもてない裏切り者として罵った。

あのときはなんとも情けのない気持ちがした。


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