この場所には思い出がたくさんある。
私とあなたとの出会いはここ。
あなたと初めてデートもここ。
ここであなたとピクニックもした。
それから初めて会ったこの場所で
あなたにプロポーズをした。
教会が近くにあったからあなたとの結婚式はここで挙げた。
家族が増えてからも、ここでピクニックをした。
しかし
「また一緒にお出かけしようね。」
と言った我が子の願いは
あなたの裏切りのせいで叶わないものとなった。
この場所には思い出がたくさんある。
だからあなたをずっとここにいさせてあげる。
「誰もがみんな、同じわけじゃない。」
花瓶を前にして初老のピエロはつぶやいた。
今まで彼にとって人を笑顔にすることは容易いことだった。
トンチキな笛の音で笑顔。
すってんころりんと転べば笑顔。
風船を動物の形にすればまた笑顔。
彼の素晴らしい武器には彼自身も含まれている。
彼の人生の中でその武器が通用しないものはいなかった。
あの日の昼までは。
「ねえシュッケル、あたしを笑わせてよ。」
春風が吹き始めた日、年が六つくらいの少女が若いピエロに言った。
自分と全く違う名前を呼ばれたことが引っかかったが、特に何も言わずピエロは鉄板の武器を披露した。
しかし少女の口はピクリとも動かない。
なんだ。大したもんじゃないのね、と少女はスタスタと去っていった。
少女の背中を見て、彼は初めて悔しさを覚えた。
翌日、また少女はきた。
「シュッケル、あたしを笑わせてよ。」
昨日と同じことは言わせまいとピエロは新しい武器を披露した。
だが結果は昨日と同じだった。
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も、少女の口が動くことはなかった。
気づけば腰のあたりだった少女の背は、ピエロの肩までに迫っていた。
その日も、少女は笑わなかった。
だが、その日はいつもと違った。
「ねえシュッケル。毎日毎日おんなじようなことされて、やかましいとか思わなかったの?」
少女がピエロにジュースを渡して言った。
「いいや、まったくだ。おかげで新しい武器がたくさんできた。君には、感謝してるよ。」
ピエロはニカッと少女に笑いかけた。
「変な人」
「君もなかなか変な人だと思うね。僕をまったく違う名前で呼ぶし。君が僕のところに来て何年経ったか…」
すると少女がすくっと立ち上がり、ユノ、と言った。
「ユノ?」
「あたしの名前。今までシュッケルに言ってなかったから。」
「どうして今」
「あたし、もうすぐ遠いところに行くの。」
「一体どうして、」
「それはね…」
ユノの話は空が赤くなるころまで続いた。
「なら、僕もシュッケルじゃない名前を言わなくちゃな。僕は…」
カラスは彼らの別れを悲しむように鳴いた。
「じゃあね、シュッケル。」
ユノはピエロに一輪の黄色い花を渡した。
「結局そのままか」
「こっちの方が呼び慣れてるからね」
ピエロは初めてユノの笑顔を見た。
次の日、ユノがピエロのところに来ることはなかった。
「誰もがみんな、同じわけじゃない。」
ピエロはユノから受け取った一輪の花を花瓶に飾った。
「みんなにあった方法で。みんなを笑顔に。」