「誰もがみんな、同じわけじゃない。」
花瓶を前にして初老のピエロはつぶやいた。
今まで彼にとって人を笑顔にすることは容易いことだった。
トンチキな笛の音で笑顔。
すってんころりんと転べば笑顔。
風船を動物の形にすればまた笑顔。
彼の素晴らしい武器には彼自身も含まれている。
彼の人生の中でその武器が通用しないものはいなかった。
あの日の昼までは。
「ねえシュッケル、あたしを笑わせてよ。」
春風が吹き始めた日、年が六つくらいの少女が若いピエロに言った。
自分と全く違う名前を呼ばれたことが引っかかったが、特に何も言わずピエロは鉄板の武器を披露した。
しかし少女の口はピクリとも動かない。
なんだ。大したもんじゃないのね、と少女はスタスタと去っていった。
少女の背中を見て、彼は初めて悔しさを覚えた。
翌日、また少女はきた。
「シュッケル、あたしを笑わせてよ。」
昨日と同じことは言わせまいとピエロは新しい武器を披露した。
だが結果は昨日と同じだった。
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も、少女の口が動くことはなかった。
気づけば腰のあたりだった少女の背は、ピエロの肩までに迫っていた。
その日も、少女は笑わなかった。
だが、その日はいつもと違った。
「ねえシュッケル。毎日毎日おんなじようなことされて、やかましいとか思わなかったの?」
少女がピエロにジュースを渡して言った。
「いいや、まったくだ。おかげで新しい武器がたくさんできた。君には、感謝してるよ。」
ピエロはニカッと少女に笑いかけた。
「変な人」
「君もなかなか変な人だと思うね。僕をまったく違う名前で呼ぶし。君が僕のところに来て何年経ったか…」
すると少女がすくっと立ち上がり、ユノ、と言った。
「ユノ?」
「あたしの名前。今までシュッケルに言ってなかったから。」
「どうして今」
「あたし、もうすぐ遠いところに行くの。」
「一体どうして、」
「それはね…」
ユノの話は空が赤くなるころまで続いた。
「なら、僕もシュッケルじゃない名前を言わなくちゃな。僕は…」
カラスは彼らの別れを悲しむように鳴いた。
「じゃあね、シュッケル。」
ユノはピエロに一輪の黄色い花を渡した。
「結局そのままか」
「こっちの方が呼び慣れてるからね」
ピエロは初めてユノの笑顔を見た。
次の日、ユノがピエロのところに来ることはなかった。
「誰もがみんな、同じわけじゃない。」
ピエロはユノから受け取った一輪の花を花瓶に飾った。
「みんなにあった方法で。みんなを笑顔に。」
2/11/2024, 4:48:33 AM