私が思うこの世界は
・この世界は、実に気まぐれ。
ある日では誰かに優しく、誰かに厳しい。
またある日では優しくしてたはずの人に厳しく、厳しくしてたはずの人に優しくなる。
まるで、一人一人をアメとムチで育てているかのようだ。
・現代は昔に比べ、だいぶ自由になってきた。SDGsという考えもあり、どんな人でも自由に生きる機会が増えた。
ただ、そんな世の中でも、優遇される人というのはいるようだ。
それは、自分を表現できる人だ。自分らしく生きている人だ。“自分らしく”というのは“こうあるべき”ではなく、自分がやりたいことを自由にやって、自分の思っていることをはっきりと言えることだ。
世界はいつも同じ人を見れるほど暇ではない。だから常に“アメとムチ”は起こる。だが、自分という者を発信すれば、世界は振り向き、思っていることを理解してくれるだろう。
我慢するのは損をしている。これは間違いない。
世の中空気を読まずにバンバン喋っては好き勝手生きてて得をしている人もいるから、いかに我慢が損か分かる。
自分がこれは言いたいと思えば言えばいいし、自分がやりたいことをすれば、間違いなくこの世界を有意義に生きていけるだろう。
君と、七草と、一緒に
春の七草粥はとても美味しく、食べると幸せになる。
仲間の皆の分を買うと大量になるため、大変だが、喜ぶ顔を想像するとそんなのは気にしていられない。
かつては無病息災を願い、七種類の野菜を入れた汁を食べていたのだとか。先人の智恵が、昔から人々を元気にしていたようだ。
私たちもこれに習い、無病息災を願い、仲間と、そして大切なあの人と、七草粥を食べたい。
幸せとは何か
・幸せとは何か?
簡単な話、自分が何の不安や悩みもなく楽しい気持ちでいられると幸せである。それは誰しも頷けるし、そうでありたいと思っている。
だが、幸せは望んで手に入るものかというとちょっと違う気がする。幸せは、自分が落ち着ける場所があり、やりたいことをすることで自然と感じられるものだと思う。逆に幸せを追いかけようとすると、心にゆとりがなくなり何が幸せか分からなくなってしまう。
・自分がこうした方がいいんじゃないかと思うことはとことんやる。小さいことは特に。
モヤモヤがある時点で幸せでないから、そのモヤモヤの原因が分かっているなら、いち早くそれを解決するべきだ。そうすると心は気持ち良くなるし、達成感も得られさらに幸せになる。
・何となく幸せを感じられるなら、それは幸いだ。
とにかく大切に噛みしめるべきだ。その幸せな気持ちは、今までの自分が良いと思ったことをしてきた集大成であり、これから先も幸せになれることであろう。
新年のご挨拶
新年、あけましておめでとうございます。
『書いて』というアプリを始めてから初めてのお正月を迎えました。
私自身、ある創作の長編小説を書いており、このアプリで文章力を鍛えようと思って始めました。
今までたくさんの散文や小説を書きましたが、このアプリの言う通り、書くと気持ちが楽になりますね。特に『放課後』というテーマに関しては、もろに気持ちを吐き出したような内容になりました笑
自分が思っていることをアプローチすることは大事だと、改めて思いました。シンプルなだけに、使い道はまだまだたくさんありそうです。
毎回たくさんの“いいね”をいただき、ありがとうございます。励みになり、とても幸せな気持ちになります。
これからも、テーマに沿ったことや、それ以外のことも書いていきますので、どうか、よろしくお願いします。
短い小説 『良いお年を』
真夜中。世間はまさに年を越そうとしていた。
とある村では、住民みんなが浮かない顔をしていた。その村にはある事情があった。
村が廃止されるのだ。法律の関係で、“市”という大きな町に吸収されるのだ。市に吸収されると一体どうなるのだろうか。都市開発で村を壊されるのかもしれない。これは単なる想像に過ぎないが、何だか村が村でなくなる気がして、不安で、複雑な気持ちになってしまう。
山の麓に広がる田や畑の地平線。これらをいつも活気よく耕す農家たちも、この日は農具を手にすることはなかった。
村の人たちは集まった。この村が自分達だけの領域でなくなる前に、みんなで村の景色を眺めながら思い出を語り合おうと思った。
みんな、数えきれない程の思い出を持っており、話が尽きることはなかった。それくらい、この村はとても大事に思っている。
年が明けるまであと数分。みんなは黙り込んだ。
漠然とした不安を持ちつつ、村が終わる最後の瞬間を迎えようとしている。どうあがいても、時間は目も耳もくれず、無情に過ぎてゆく。
そびえ立つ山、地平線を描く田や畑。まるで地球の果てまで続いているかのようだ。このまま、全部この景色になってしまえばいいのに。
「消えてしまうのかな」住人の一人が言った。
少し沈黙が流れてから、他の住人が言った。
「消えないさ。それに、消えたとしても、私たちはずっとこの村の住人さ」
みんなも同じ意見であった。未来への一筋の光を信じ、新しい年を迎える。
“市”になっても、この村が良いお年を迎えれるように。