同じ間違えを繰り返して
謝り文句だけ達者になって
反省してないと言われ続けた挙句
本当に反省してないのではないかと
自分を疑う
風に乗って空の何処かで霧になって鎮火してほしいこの思い、
心を抑えれば心臓の鼓動に握られて、固形にでもなってしまいそうな、ざらついたモヤを、吐き出してみたい。
この苦しさに誰が気づいて
教卓の前に立って、プレゼンテーションで一つの教室のくうきを担う、負けない自分を想像しながら、ページを一枚々々描きあげる、一ヶ月弱の準備期間が過ぎた。
今日は本番の日だ。
グーグルスライドの文を肝にワンバウンドさせてから口で詞をつむぐ、実はこれは私のずっと共に育った言語を使ってではない、私の一言一句が私の口内にしがみついて詰まり続ける、まだ学習中の難しい言語だった。
それなのに圧力をなぜか感じていなかった。知見をシェアしたい一心を持ってたら、おおらかさが私を味方していた。口は動き続けていた。たとえ間違いだったとしても、間違えてる自分のこれ以上に完全な自分を目指さなかった。
たとえ間違いだったとしても、それ以上に目が向く何かがあったほうが、気楽なのかもしれない。
描かれるユメは
何もいらない
望まれるユメは
希望以外何もいらない
抱かれるユメは
希望と意志以外何もいらない
追われるユメは
希望と意志と行動以外何もいらない
叶えられるユメは
希望と意志と行動と努力と計画と…以外何もいらない
私たちが見ていると思っていたユメは、実は逆に私たちのことを見ている。私たちに何かを求めている。
ユメは叶わない、それは私たちが、ユメに必要なものを与えてないからでないか。
と見えない何かに説教されてる気がした僕は、注文が多すぎるよとため息をついた
遠くの空へ羽ばたく渡り鳥は、地を踏み歩くぎこちなさに悩むのだろうか。
海を自由に泳ぎ回るペンギンは、空高く舞い上がることができなくて悩むのだろうか。
私らの天分は、さらなる欲望をそそる為にあるのか、誇り高く揮るう為にあるのか、
思いを馳せながら空を遠く眺める。
眺めるうちに私は、自分の足で、人生こために地を踏みしめ歩くことを選んだ。
春となり、枝の先々まで柔らかな花々を敷き詰める桜の木には、乗り越えた厳しい冬の寒さがある。
必ずそこに寒さがある、それは蕾がそれによって目を覚まし、春に向けて開花に備えるからであり、厳しい冬を乗り越えなかった木は花で身を飾らない。
厳しい試練も報われると教えてくれるこの時期になると、今を生きて乗り越え、その先に力強く命を爛漫に輝かせよう
と希望と励ましを度々与えてくれるものである。