高鳴る鼓動“熱い鼓動”体は暑いのに恋みたいな心の熱い鼓動ではない、中身が空っぽの鼓動。ただなっているだけ。いつから恋をしなくなったっけ。いつから人を信じることができなくなったっけ。もう覚えていない。
あの頃のような、好いた人に近づくだけで高鳴る心の熱い鼓動。またそんな鼓動を感じたい。いつの日か。
今の私の鼓動は熱いだけ。心と共になる鼓動じゃない。
体だけの鼓動。つまり生きているだけ。いつかあの日を取り戻せるように。頑張る。
“またいつか”が、絶対来るとは限らないって最近痛いほど痛感した。普通にこれからも一緒に生活してくんだろうなって思いもしないぐらい当たり前の日常が、簡単に崩れ落ちてあっという間に兄はいなくなった。
私を呼ぶ声が聞こえない。私が呼んでも返事がない。当たり前にまた映画行こうねって、いつ行けるかなって考えて。帰ってきたら唐揚げにしようねって、いっぱい食べれるよって話してたのに。同じ推しの話をして、こんなストーリー良かったよねって、このグッズ欲しいんだよねって、家族の中で一番好みが合う人だったからいっぱい話したしこれからも話すつもりだった。
帰ってきたらこれあげようって、喜ぶかなって。喜ぶ顔まで想像してたのになぁ……意識がなくなったきり起きずにそのまま逝ってしまった。“また”、“また”って言ってさ、それが本当に来るかなんてわかんないんだね。
そんな気持ちわかったこともなかった。
最近は忙しくて兄のことを考えると足が完全に止まってしまうから。とりあえず現実逃避しないと生きていけない。受け止めようと、その事実を理解しようとすると心の軋む音がする。まぁまだこのままでいっかって思う。
みなさん、生きてる間にいっぱい伝えといたほうがいいですよ。逝ってしまったらもう。何も伝えられない。
あなたは今幸せですか?もう辛くないですか?
好きなこと、たくさんできてるかなぁ?
もう次の人生にいってるのかな?
それともずっと見守ってくれてる?
辛かっただろうし、痛かっただろうし。
とにかくいっぱい休んでね
天国で、幸せになってね。
いつかまた会う日まで、大好きだよ!
届いて‥…
いたらいいな!!
願うなら
空へ行った兄がもう楽になれていますように
願うなら
家族みんなが最後まで幸せでありますように
願うなら
母が立ち直れますように
願うなら
私が私を愛せますように、認めることができるように
願うなら
私が死ぬときには来世も私がいいと願えますように
なんて、欲張りすぎだよね
“君の声がする”ってとっても幸せだと思う。君っていう言葉には家族、友達とかの見回りにいる人が入ると思う。他人の声はあんまり気にしないからここには入らないと思うんだ。で、人が死んだら一番最初に忘れるのは声って言われてるじゃん?だから動画とか撮ってない限り顔は思い出せても、一度忘れた声を思い出す方法はなくなるじゃん、でも声が聞こえてる限りその人はどんな声で笑ってたかなとか、喋ってたかなとかを忘れることはない。だから身の回りの大切な人の声がして何気ない会話ができるってとっても幸せだと思う!