サカイと付き合うことになってすぐ私は19歳になった。バスで一緒に帰ってうちに泊まったよね。
人生初のキスがどこでどんなだったか覚えてないなんて、なんて奴だよって自分で思うけど、サカイとだったことは間違いないよ。覚えてたら教えて欲しいな。
体の奥深くに初めてサカイが触れたときのことは、今でもはっきり覚えてるよ。お互い不慣れで、なかなか上手くいかなかったね。でもちゃんと優しくて丁寧で気遣ってくれたから、初めてがサカイで良かった。
それでも、恥ずかしくて照れくさくて、次の日どんな顔したらいいのかわかんなくって居心地悪くて。世の中の恋人たちはなんで平然としていられるんだろうって、大人になった世界はなんだか違ってみえた。
人の体温がこんなにも優しくて温かいってこと、教えてくれたのはサカイだった。サカイに抱きしめてもらうのが好きだったよ。
あれはもう秋だったと思うんだけど、みんなでサンフランシスコに泊まりで行ったよね。見晴らしのいい高台で2人の写真を撮ったり、ケーブルカーに乗ったり、フィッシャーマンズワーフでご飯食べたり、アルカトラズを回る船に乗ったり、なんとなく一緒にいるなぁとは思ってたけど、帰りのバスでは当たり前みたいに隣に座ってくるから、もうその時には私もそういう意味で意識してて。お互い何も言葉に出来ないし、手を握られてたのか、ただ肩が触れてただけなのか、あぁ覚えてないな…バスの空調のせいかもしれないけど、体も心もくっついてて汗ばむくらい熱かった。
帰り着くまで何時間も緊張してたんだよ。
全然覚えてないんだけど、帰ったその日なのか違う日なのか…サカイの部屋でも私の部屋でもない、真っ暗な知らない天井の部屋のベットでお互いの気持ち確認したね。両思いなんて初めてだったから、覚悟というか、周りの反応への諦めというか開き直りみたいな決意のようなものを強く感じたのを覚えてる。
私はとっても恥ずかしかったんだけど、周りのみんなはサカイの気持ちを知ってたのか、私たちのこと初めから認めてくれてたよね。
どんな言葉で告白されたのか、少しも覚えてない。
それからはたくさん『好き』を言ってくれたよね。
トモヤとお金を出しあって、炊飯器を買った。日本人だしね、やっぱり米でしょう。カリフォルニア米も普通に美味しくて、お弁当作って学校の大きな外階段のところで、ホームステイ組で食べてたなぁ。寮の子たちはカフェテリアで食べるから、サカイとはランチ別々だったね。
ご飯はだいたい私が作るんだけど、トモヤは名古屋出身だったから、赤味噌を使ってみたり。レバーを煮た時は『どて丼』だといってモリモリ食べてくれた。
料理なんてほとんどしたことがなかったから、なんとか食べられるもの作るっていう程度だけど、ここで生きていくって思ってたから、自分なりの生活スタイルはこの時から少しずつ確立されていったのかなぁ。
そういえば、サカイに私が作ったものを食べてもらったことってないかもね。ちょっと悲しいな。
やはりアメリカは車がないと不便なので、免許と車を持ってる子にお願いしてみんな夜な夜な運転の練習をするようになった。その夜も男の子たち数人で運転の練習をした後、うちに寄る予定だったから、ずっーと待ってたんだけど、朝になっても来なくて。もう外が明るくなった頃やっと来たんだけど、みんな憔悴しきってた。サカイの説明では、住宅街で運転の練習をしていたところを住民に通報されてしまったらしい。複数の警察車両に包囲され、しかもライフルを向けられホールドアップ。後ろ手に手錠をかけられ、ひとりずつ車に乗せられたのだと。まだ英語で十分にコミュニケーションが取れなかったため、日本語の分かる刑事を呼んでもらい説明して解放してもらったのだと。
手首には手錠の後が赤く残ってた。
あの時は本当に怖い思いしたね。
少し慣れるまでの4週間ほどは、みんなで古い寮に入ってて、その先新しい寮に移る子と自分で部屋を借りてルームレントする子と分かれた。
私はルームレント、サカイは寮でクラスも別だったから一緒にいられる時間がちょっと減っちゃったね。
私はリッチっていう中学校の先生をしているおじさんの家に部屋を借りた。クイーンベット!バス通学になるし、アメリカ人の体格のいいおじさんとじゃ不安もあったから、トモヤも同じ家の別の部屋で一緒に住むことになった。
リッチは車で買い物に連れて行ってくれたり、私たちのためにBBQしてくれたり、いい人だったよ。
そしてワイルド。買い物の時、レジでまだお金を払ってないのに、ちゃんと買うからってチップス開けて食べてたし、その辺は割と治安はいい方だったけど、アメリカなのに家に鍵をかけないのにはビックリ。