言葉にして発すると、夢は叶うらしい。
具体的であればあるほど、叶うらしい。
でも、そもそも、夢ってなんだろうか。
夢と目標はどう違うのか。
夢と妄想や羨望はどう違うのか。
夢と理想はどう違うのか。
夢があることは良いことなのか。
夢があることは幸せなのか。
夢がないことは悲しいことなのだろうか。
眠るときに見る夢も夢と言うし、
叶うはずのない望みも夢と言うし、
実現できる願いも夢と言う。
ある意味、全ての小説は夢の中の出来事で、
もしかしたら、今このときも夢の中かもしれない。
夢の中の夢の中の夢の中の夢の中かもしれない。
何度目が覚めても、いつまでも夢の中なのかもしれない。
すべての夢から目が覚めたら、そこはどこだろう。
それが現実なのか。
表裏一体なのか。
はたまた、グラデーションなのだろうか。
夢と現実の間。合間。狭間。隙間。あわい。
では、今このときは、夢か現実か。
そうすると、わたしはなにものか。
わたしでないものは、なにものか。
わたしがわたしであるならば、夢と現実は同じものでは。
今が夢の中であり、現実の中でもある。
夢にいるわたしもわたしであり、
現実にいるわたしもわたしだから。
わたしがわたしをわたしと思うから、
わたしでないものが生まれる。
夢の中でもわたしはわたしで、
現実でもわたしはわたしだ。
わたしでないものも、同じ。
であれば、現実にいながら、夢の中にいる。
夢は叶っている。
そういう夢を、見たかもしれない。
あなたとの距離
どんなに君が好きだか当ててごらん
という絵本が好きだった。
小さい頃。今も見かけたら、ついつい手に取って読んでみる。
小さいうさぎと、大きいうさぎのお話。
すき、
だいすき、
だいだいだいすき、
それよりもっとすき、
言っている時より、
ちょっと喧嘩して、その後でしんみりしたときにこそ、
じわじわ効いてくるもの。
わたしとわたしじゃないものとの境目はどこにあるのだろう。
好きな人とくっついていると、
どこまでが私の手のひらで、どこからがあなたの手のひらか、
わからなくなってくる。
いつか、握手をしているときは分子の交換がされている、
というような話を聞いたことがある。
くっつけばくっつくほどあなたとわたしは交換されて、
境目はどんどん曖昧になっていく。
なじむ。ということなのか。