紅茶の香り
紅茶の香りが恋しい。
持病を治すためにはカフェイン厳禁だと言われ、私の紅茶ライフまで終わりを告げるのかと悲しい思いをしている。
色んな種類の紅茶を飲み比べ、これくらいの蒸らし時間が美味しいなどとメモして、牛乳が先か紅茶が先か、脂肪分何%が一番合うのかと研究していた時間は楽しかった。
まだ研究が終わっていないのに、病気は紅茶までも奪う。
たぶんコーヒーもお抹茶もダメなのだろう。
ついでに言うとお酒もダメらしいので、試してみたかった紅茶シロップ割もお預けだ。
紅茶が飲みたい。
仕方がないので、紅茶の香りのアロマを買った。
火をつけて吸い込むと、ホワイトティーとジャスミンティーの甘いブレンドが鼻腔を満たす。
これじゃない。私はダージリンが飲みたい気分なのに……。
愛言葉
今の流行に疎くお題の意味が分からなくて
てかお題の意味が分からなくて
むしろお題の意味が分からなくて
この曲で合っているかな?
毎回検索する。
カバーや同タイトルの連番も出ているようで、文化的な背景も分からないこの歌詞の内容もあまり理解していないけれど、愛が十個あればありがとうになるかどうかについては一考の価値があるのではないかと思ってみたり。
愛とは思い入れ。愛とは執着。愛とは充実。
こうやって十の愛の条件を満たせば感謝になるのかなと、そう思うのです。
まだ足りない? (笑)
じゃあ
いつも読んでくれたあなたに
感謝、感謝。
友達
友達。そんなものはいない。
持たないといけないと、そうでないと私の対人能力が疑われてしまうということから罪悪感を持ってしぶしぶ付き合った人はいるけれど、そんなものは友達とは呼ばない。
そんなことないよとか、友達だよと言ってくれる人はいるけれど、私が友達であると真に信じられる人がいないのは本当だ。
なにより私自身が私を信じていない。
年賀状も長らく出していない。
出すべき人もいない。
私に縛られる人がいないのは幸福だ。
たとえこの世のすべての人が友達同士で、私だけがそうでなかったとしても私はきっとたいして傷つかない。
友達。友達。友達。
友達という言葉には小学生の頃から呪いがある。
私が「友達」と仲良くしていないと、先生の成績が悪くなる。
私が「友達」と仲良くしていないと、母が母親としての自信を失う。
私が「友達」と仲良くしていないと、父の面目を潰してしまう。
私は一年生にしてその真実を知り、仲良くする振りができそうな子を見繕うような小賢しいこどもだった。
友達の作り方なんて、大人になってもわからない。
友達、それは私のタスクとしてまだ両肩にのし掛かってくる呪いだ。
友達なんて、作りたくない。
行かないで
行かないでと私が引き留めたあなたの手は、戸惑いに揺れたのち私の手をぎゅっと握る。
その不器用で優しい手とは裏腹に案外冷たい。
そのことに気づいたのはもっと早かったはずなのに。
気づかないふりをしたのは私。
どこまでも続く青い空
どこまでも空が続いていると私たちが確信しているのはなぜだろう。
宇宙体系についての知識があるからだろうか。
それとも単に空が切れ間なくあるように見えるからだろうか。
私は《どこまでも続く青い空》というものには少々懐疑的だ。
大気という意味では続きなのだろうが大気中の成分、例えば水分や塵などの内容物は常に一定という訳ではないはずだ。
そうでなければ一部地域では晴れて一部地域では雨が降ることの道理がない。
それでも私たちは空で繋がっているという幻想を信じている。
信じていたいのだ。一体感という幻想を得るために、我々は欺瞞の中で生きているのだ。