海へ
やっとの思いで海へとたどり着いたとき、私にはもう何の気力も残されてはいなかった。
山を越え、河川を渡り、それでも海へとひたすらに向かったのはひとえに心の中のもやもやを振り払いたかったからだ。
それは少し晴れたものの、それ以上に大きな疲れが体にずっしりとのし掛かり後悔すらした。
何キロ歩いてきたのだろうかと自嘲しながら浜に横たわる丸太に腰かける。
貝殻を拾い集める余力もなく、石を投げ入れる気概もなく、ただ夕日が沈んでいくのを見つめる。
「探し物は見つかりましたか?」
ふと、声を掛けられた気がしてキョロキョロと見回すが誰という気配もない。
気のせいだ。疲れのせいだ。
そう自分に言い聞かせながら、私は気づいた。
「何もかもを気のせいにするために来たのか」
そして、自分の勿体ない精神の蓋をこじ開ける。
ここまで旅をして、それすら気のせいにするのは勿体ない。ありもしない財布の中身にせめてもの思い出を詰め込むために、私は貝殻を拾い始めた。
そうしていると、夕日が沈むのがやけに早く感じる。
早くしなければ、何か大切なものが見えなくなってしまう気がする。
「それこそ、気のせいなのにね」
裏返し
よく表裏一体と言うけれど、服や靴下じゃあるまいし本当に愛情の裏返しは増悪なのかしら。
無関心だという説も聞くけれど、それも裏かと問われれば違うように思う。
心を砕いて愛を込めて接してきた相手に裏切られたときなら?
無償の労りの心で世話してきた人に反発されたときなら?
私ならきっと、愛情の反対を「後悔」と書くわ。
鳥のように
鳥のように飛べたなら。
英語の例文のように考えてみる。
鳥のように飛べるのなら。
骨は羽のように軽く中身がなく括約筋も働かず、ペンを持つ手指もなく、ただ羽ばたくことで無念を叩きつけることしかできないのではないか。
鳥のように飛べるのだとしたら。
重力に逆らい続ける重労働を常に課せられ、嘴のみで住居を建築せねばならない。
大工も居らず、建築基準法などあるはずもなく、己の責任で命は軽く吹き飛ぶ。
鳥のように飛べなくて、よかった。
さよならを言う前に
さよならを私から言う前に、話して欲しかった。
あなたはいつも言葉を出し惜しんで、気持ちを伝えてくれない。
私が痺れを切らしてさよならを言うまで泳がせていたつもりなのは分かる。
でもあんまりだよ。最初から話してくれれば。
もっときちんと話していれば。
本当は私が甘えすぎていたことだって、叱ってくれなかったね。
空模様
曇り空を見ぬふりをした。
今にも泣き出しそうな深い夜空のことを、考えない振りをした。
私が悪いんじゃない、あいつが悪いんだ。
なりゆきでふらりと立ち寄ったような陽気な太陽を見たときから、そう思ってた。
だから、ね。
君も見なかったことにして、いいよね?