風の中に誰かの思いがあるなら、それを探るのも良いけど。
最近は耳がよく聞こえるから、苦しめられるし、ひどく脳が振れる。
要は、聞きたくないこともたくさん聞こえるってことで。
ほのかな赤い恋の音も、小さな音。聞こえるのは聞こえたら生きたくなくなるでかい音。
ずっと一人で絡まってるだけ。
もう今は遠くに来たんだろうから、ほどくこともできないんだろうな。
早く頭なんてなくなって、思い切ってきゅーっと背中から刺してくれたらな。
痛いだろうけど、もう疲れたから、それでもいい。
苦くて、噛み合わせの悪い砂利を食べてるみたいな音がする。
黙っててほしい。自分は黙ってる。
だから相手は喋り続けるし、自分の思いも届かない。
うるさい。ごめんなさい。
たまには生きたい。生きたい。
時間が支配している。冗談ではない、本当に深刻なほどだ。
どうして何もかもせっかちにしようとするんだ?自分よ。
なぜなら、時間は限られているからだ。
こんなことしてる暇ないって気づくことこそが、鍵だっていつも言ってるじゃん!
全てに針を指すんだ。今!、今だ!って怠惰に過ぎる時間に刺激を与えてやるんだ。
そうすることこそが人生の鍵なんだ。
そう思ってきたし、そうだ。そうなんだよ。天才よ。
それでも、それから抜け出したいよ。
それでもね。
抜け出して、何も気にしなくていいように自由になりたいんだ。
それが許されないのは、絶対なんだよ。生まれてきた以上、絶対原則だ。
絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対。
壁が厚いし、その突破法があるのかも知らない。
たまには、そうしたいんだ。
正しさと間違いって一体なんだろう。
一体何度共感しては催眠から解けるように感じ方がコロコロと変わるんだ?
ある人の感情をもってしたら、道理の通る悲惨な話だったのに、
それが自己満とトラウマとわがままの権化に変わってしまうのは、あまりに不可思議。
どうしてそれを私は気にするんだ?
関係ないと切り捨てて、耳を塞いで、声に乗った感情なんて感じなければいいじゃないか。
何がそんなに不満なんだ?双方の考えは、正しいってか?
間違いなんてあるんだろうか?
一体いつまで私は正解を探して正そうとしているんだ。
そんなことできやしないのに。
きっと正しさになった双方のどちらかが、10年後に采配をもらうとしたら何だろう。
もしあっちの正しさが正しさになったなら、きっと、餓死を楽しんでるんじゃないかな?
もしこっちの正しさが正しさになったなら、あっちの人が、人間に正しさを求めることを恨むんじゃないかな。
だって、あまりに遅すぎたから。10年後に間違いを知ったって、生きていかなきゃいけないのに馬鹿らしいじゃない。
でも、実は私はそれを望んでるんだ。
あっちの正しさが正しさになったなら、あまりにこっちの彼女が不憫だから。
溢れ出す言葉
1000年先も1000年先がある。
そう信じてるの、やめたい。
きっと、その頃には解いてる。
それで、きっと宇宙なくなってる。