ヒートショックにならないように、部屋を暖房で暖めてからお風呂に入った。
あの子は気まぐれでナーバスだった。次会う約束もさだかではなかった。もっと顔を見てたくさん話をしたいし、手を繋いで散歩したいし、あの子の汗やいびきも気にせずくっついて眠りたい。不安恐怖症のわたしは「極論、わたしたちはいつどうなるかわからないんだから」というポリシーを押し付け、いつだって自分の気持ちを伝えた。あの子はそんなわたしの言葉たちを信じられずますます気まぐれでナーバスになった。だからわたしは、あの子をいつまでも待てる不老不死になりたいとおもった。
車に轢かれないように、右見て左見て、右を向いた。
˗ˏˋ 明日世界が終わるならˎˊ˗
あの子は君よりスーツの皺が目立った。
あの子は君より3月9日のAメロがうろ覚えだった。
あの子は君より焼き鳥の食べ方が丁寧だった。
あの子は君より寝るときの部屋が明るかった。
あの子は君よりたばこを吸い終わるのが早かった。
あの子は君より笑ったときの顔が幼かった。
˗ˏˋ 君と出逢ってˎˊ˗
「その人ともだちの紹介で会ったんだけど、前の彼女と別れたばっかりで精神的に不安定らしくわたしと仲良くしたいけどやさしくしたり相手のことを知ろうと今は思えないんだって。あと自分の最寄駅まできてほしくてそれより遠くは行く余裕がないんだって。そういう精神状態のときに新しい出会いとか求めないほうがいいと思うんだよね、余計疲れそうじゃん。わたしのともだちも失礼だって言ってたからチラッとそんな話もしたら、恋愛のことをともだちとか周りの人に話すの俺はやめてほしい、二人だけのあいだにとどめてほしいって言うんだよ。でもわたしを大切におもってくれてるひとに心配されるような関係って嫌だし、そもそもそんな人やめなよって言われちゃうようなことをしてくるから周りに相談したくもなるんだよ!って思ったわ。あ、ねえこの話ほかのひとに言わないでね」
言わないよ誰に言うんだよ、とあの子は笑う。あの子の声はけっこうタイプだけれど襟足の長さがいつもすこし気になった。
˗ˏˋ二人だけの秘密ˎˊ˗
やさしさは共通言語ではないみたいだ。
同じ国や地域で育って一度はこころを通わせたあの子でさえ、きみが傷つかないようにだとか、きみが重いと感じないようにだとか、きみが疲れてしまうとおもってだとか言って不思議なことをやさしさと表現するのだから。
そんなことを考えていると、わたしが迷って頼まなかったオレンジパイを注文したあの子は、わたしのお皿にはんぶんこにしたオレンジパイを乗せた。
それもらったらわたしのチョコパイもはんぶんあげなきゃいけない空気になるじゃない。
˗ˋˏ 優しくしないでˎˊ˗
その日行ったバラエティショップの筆記具コーナーは、カラフルと呼ぶには品揃えがわるい。
あの子は、私が手にしていたパッションピンクのマーカーペンをやさしく奪うと、ペールグリーンを手にとりきみのイメージだなどと語る。
あの子が褒めてくれたペールグリーンのTシャツ。
あの子が褒めてくれたパステルブルーのバッグ。
あの子が褒めてくれたライトブラウンの髪。
恋をして私の日々が彩られた、みたいな詩的な表現を最初にしてくれたのは誰だろうか。
あの子との日々より今日の通勤路のほうが多彩だ。
˗ˋˏカラフルˎˊ˗