ねおきねこ

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4/10/2023, 11:15:00 AM

誰よりも、ずっと遠くへ


朝は憂鬱 世界になんて行きたくない
自分の部屋より安穏な場所がどこにあるっていうの?
外は戦場 隙を見せればほら
仮面を被った悪魔達が嘲笑ってる
ダンテみたいにスタイリッシュに決められれば
いいけど そういうわけには行かないの

だけど知ってる
私のゴールはそこじゃないって
蔓延る悪魔城のもっと先
ハッピーエンドじゃないかもしれない
でもバッドエンドも迎えてらんない
みんなをかき分けてもっと遠くへ
後ろを見ればほら
村人Aと変わらないかもしれない


夜は退屈 あなたは今日も電話にでない
一応恋人の私を放っていく街は楽しい?
愛していると 好きを見せればほら
仮面を被ろうともしないあなたが曖昧に笑う
シンデレラみたいにキレイに着飾れれば
いいけど そういうわけには行かないの

だけど知っている
あなたの隣は私じゃないって
蔓延る疑念のもっと先
決してハッピーエンドじゃない
バッドエンドにも自分じゃできない
だからあなたを追い越してもっと高みへ
後ろはもう見なくていい
昨日よりも素敵な自分に会いに行こう

4/8/2023, 12:55:01 PM

死ぬ恐怖と、誰かを殺してしまう恐怖は、一体どちらが怖いのだろうと考えたことがある。
ほんの数年前まで考えたこともなかった。
自分が人を殺してしまうかもしれないという発想だ。
そしてその発想が、大好きだった人とずっと離れ離れになってしまうなど、一体誰が予想できるだろうか。

私にとって、人を好きになることは容易ではなかった。
まず、他人は簡単に裏切るし、他人は嫌いな相手には何だってできるということを小学生の頃学んだ。
小さな私の世界では、それが世界の常識で、自分を守るためには相手を攻撃するしかなかったのだ。
今になって思えば、明らかに教師が悪いと断言できる。
小学校3年の生徒を、高学年の女子と一緒に弄るのは、良識ある大人のすることではない。
他にも色々あったが、確かなことは、その教師はPTA会長の子供にも嫌がらせをしていたことが、その親にバレて、私が卒業する前に学校からいなくなったということだ。
結局、その教師がいなくても、私の人嫌いは変わらなかっただろうが。
悔しいことがあるとすれば、今の私ならはっきり言いたいことを言って、いじめっ子達を追い払うことができただろう。
しかし、当時の私はそれができなかった。
子供だったからというのもあるが、一番の理由は違う。
まぁ、あれだ。あまり堂々とした出自ではないということだ。
私には正式な父親はいない。
どうやら私の父親には家庭があるとのことだった。
会ったことはあるらしい。覚えていないが。
そうなると、私の存在はあまり外には出せないらしい。
はっきり言われたことはない。だが、幼いながらも私はその事を理解していた。
その事実が私から自信と自己肯定感を拭い去ることは容易なことだった。
ここにいてもいいという自信がない。
それは私のことを可哀想という無責任な親戚の言葉がかけた呪いでもあった。
だから誰に何を言われても言い返せず、余計に虐めはエスカレートし、人嫌いに拍車が掛かるという悪循環。
それを断ち切れたのはつい最近の話だ。
まるで長い悪夢を見ていたようだった。

前置きはここまでにしよう。
つまり、私は人嫌いだということだ。
だが困ったことに、人は一人では生きていけないのだ。
誰かに頼り、頼られなくては人は生きてはいけない。
困った世界である。
おそらく、私は人一倍それを理解している。
人嫌いな私が、自分よりも他人を優先する生き方をしていたのも、きっと不自然な生き方なのだ。
昔から、人の役に立つのが好きだった。
好きというより、ここにいても問題ないという実感をもらえたという方が正しいのかもしれない。
自分の幸せよりも、他人の役に立てる方を優先する。
文字にしてみると、なんと矛盾を孕んだ不自然な文章か。
だが、事実、私の生き方だった。

そんな私が初めて人と付き合ったのは20代も終わりの頃だ。
結婚などしない、子供など産まないと決めたのは小学校1年の頃。
そんな私が、人と付き合えたのは奇跡だと思った。
遠距離恋愛だった。飛行機を使うほどの距離。5年ほど付き合った。
会えなくなったのは、もう4.5年くらい前になるだろうか。
毎週電話は欠かしていなかったが、仕事の都合上、会いに行けなくなった。
県外に出ただけで、非国民扱いされる時代へ変わった頃だった。
コロナウイルスが流行り出した時期である。
怖かった。コロナウイルスに感染するよりも、感染して周りに迷惑をかけることが酷く恐ろしかった。
私の仕事は高齢者と関わりのある仕事だ。
私がかかってしまえば、営業所は営業できなくなってしまうし、仕事にも及ぼす影響を考えたら何がなんでも感染するわけにはいかなかった。
幸いといっていいかはわからないが、私が住んでいる町は田舎もど田舎。都会とは違い、しばらくは感染者が出たという話は聞かなかった。
だが、感染第一号になるわけにはいかなかった。
おそらく、誰一人望んだことだろう。
自分が第一号にはなりませんようにと。
田舎は噂がすぐに広まる。
どこどこの誰々が、大阪に行っただの、名古屋に行っただの。
聞いてもいないことが勝手に耳に入ってくるのだ。

ここで最初の話に戻るが、私は私が感染するよりも、感染した私が誰かにうつしてその誰かが死ぬことを酷く恐れた。
一方、テレビではコロナウイルス関係なく、都会で騒ぐ若者や、政府の方針に逆らい、花見をしているサラリーマン達の報道が毎日のように流れていた。
まぁ、今にして思えば違う世界で生きている人達の話なのでそこまで憤る必要もなかったのだが、当時の私は憤慨した。
そしてそれを都会に住む彼にぶつけてしまっていた。
私は、おそらく優先順位を見失っていたのだろう。
彼に会いに行きたかった。
だが、行けなかった。
それは私の生き方のせい。
彼にも、来てほしくないと言ってしまった。
結果は、先に書いた通りだ。

コロナが落ち着いた今、私が思うことは、コロナがなければどうなっていただろうか。
ifなど考えても仕方ないことなのだろうが、遅かれ早かれ結果は変わらなかったように思う。
生き方は変えられない。
おそらくこれからも、ずっと続いていくものなのだ。

4/7/2023, 12:44:21 PM

夕日なんて、特に意図して見ない。
気づけばとっくに落ちて夜になってるし、空を見上げる時はいつも曇りか雨。
天気なんて、気にするのは自分が濡れるか濡れないか。
青空だって、ちゃんと見るのはドライブの時くらい。
運転してたら空なんて見る余裕ないし、助手席にいて手持ち無沙汰だからなんとなく見上げて言うのだ。
「空がきれいだね」と。
青空はきれい。空色は好きだし、雨上がりに架かる虹も好き。
天に突き抜ける飛行機雲も好き。
まるでラピュタがそこにあるかのように大きな入道雲も、時折ピカピカと雷を走らせる黒い雲も嫌いじゃない。
そう、空は嫌いじゃない。

でも、夕日を見るのは本当に稀。
前にちゃんと見たのはいつだっただろうか。
そうだ。
恋人に酷い振られ方をした後のことだった。
私は人に弱っている姿を見せるのが嫌いだから、一人で泣ける時間が限られていた。
仕事を終えて、家路の途中の海水浴場の駐車場に車を止めて、誰にも見られないように泣いていた。
何故海水浴場の駐車場なのかというと、当初は運転中でも涙が堪えられなくて、これは事故ると思い最初に車を止めた場所がたまたま近いところで止めることができた海水浴場の駐車場。
季節は初夏だった。
冬であれば職場を出たら外は真っ暗だったが、初夏だったから時間的には夕暮れど真ん中。
結局、夕日が眩しいのと、外が明るいもんだから真っ暗なら良かったのにと夕日に文句も言っていたが。
初めての恋人にとんでもない振られ方をしたのも、あんまり珍しい話ではないのかもしれないが、私にとっては稀なことで。
そこに稀な夕日が重なって。
どちらもあまり好きではなくなってしまった。

この話に特に落ちがあるわけじゃないけど、仕事やらなんやかんやで忙しいと、日々に追われて見えなくなるものが沢山あるよねって話。
夕日なんてその中の一つで、夕方なんてみんな夕食の買い物に、帰宅ラッシュに、子供のお迎えだったりで空を見上げる暇はないのかもしれない。
私にとっては好きじゃないものだけど、そういう好きじゃないものも、立ち止まってたまに見てみると、そこに気づきや成長のきっかけがあるのかもしれない。

私にとってはそれが夕日だというだけの話。