もし明日世界が終わると知ったら、私はどうするであろうか。
いつもと変わらない日常を送るのではないか、と思う。
朝3時半に起き(ペットのモルモットが餌を強請る為)、酒や薬を仰ぐといった自堕落的な一日。
私の一日は薬と酒に満ち満ちており、それらに支配されていると言っても過言では無い。
医師からは、アルコール乱用、薬物(勿論合法だが)乱用と診断されてはいるが、治すつもりなど毛頭ないしその行為が自らの寿命を縮めることに繋がるとするならば、寧ろ積極的に行っていきたい次第である。
私は双極性障害、解離性障害、摂食障害などの精神疾患を抱えており国から金銭的な援助を受け生き長らえており、将来に夢や希望といったプラス的要素を一切見出せないからだ。
私が死んだとしても、世界は何一つ変わらず、誰一人悲しまず、回っていくに違いない。
いや、そういう世界でなくてはならないのだ。
私なんかが必要とされる世界など、此方から願い下げである。
もう十分と言う程苦しみ、泣き喚いた。己の無力さを思い知った。
だからねえ、お願いだから。最期位は選ばせて欲しい、終わり方を。
せめて苦痛の無い、死を。
大和魂を見せ、華々しく散るのも良いだろう。だが切腹は、中々死ねないし死なない。人間は相当量の血液を流さないと死なないからだ。だとしたら、首吊りか。首吊りが最も自死に適しているといわれるのには、それなりの理由があるから。詳細は伏せるが、気になる方は「完全自殺マニュアル」を熟読して欲しい。
色々と御託を並べたが、明日世界が滅ぶとしても私は一向に構わない。
感謝こそすれど、嘆くことはないだろう。何故なら私には、守るべきものが何一つ無いからだ。
無敵の人、世間は私をそう呼ぶかもしれないが。それで良いのだ、無敵の人を生産した世間が、この日本が悪いのだと責任転嫁せねばやっていけない。
私は駄目な人間だ、太宰治じゃないが「恥の多い生涯を送ってきました」である。
だから、明日世界が終わるなら。
全て終わらせることが出来るなら、酷く嬉しい。
世界は変わらず灰色だ
色鮮やかに散っている筈の花弁でさえモノクロの景色の一部に過ぎなくて、ただただ立ち尽くすばかり
今自分は何処に居るのか…
何処へ向かおうとしているのか…
誰かに指図してもらわないと、わからない
きっと行き着く先は地獄で、さながら阿鼻叫喚なのだろう
私がかつて仕出かしてきたことの代償は、図らずとも大きいのだから
生きているだけで偉いんだよ
生きていることに意味があるんだよ
あなたは必要だよ
そう誰かに言って欲しかったし行動で示して欲しかったのだけど、全て時すでに遅し
自分の過去を鑑みれば汚点ばかりで、救いようのないことばかりしてきた
りりちゃんが懲役9年ならば、わたしはきっと終身刑に値する程の罪を犯している
法は破っていない、けれど、人の道理は破ってきたのだ
確かにわたしは、色々な人を傷付けた
傷付け、傷付けられて
それでも前を向き、死という終焉に向かって歩まねばならない
人は皆、生まれた瞬間から死に向かっているのだから
そしてそれが、いつ如何なる時訪れるかは、医者や学者でも分からないであろう
死ぬ勇気も、気力も無い
だったら、屍のように生き長らえて逝くしか無い
明日も死にたい気持ちを押さえ込みながら、必死に生きるのだ
死んだ魚のような眼をして
貝殻なんて、何処にも見当たらない。
だってそこには海なんて無くて、ただただ深い緑が茂るだけだから。
それは樹海なんて呼ばれ方をするけれど、本来は神聖な土地。富士の麓にあるなんて、とても美しいじゃない?
けれど樹海は、魔境と呼ばれている。
コンパスの針でさえ狂うから、方向が分からなくなるんだそうだ。
私が行ったら間違いなく遭難し、餓死か漏れなく飢えた獣に食いちぎられている。
けれど死ぬまでに、一度は行ってみたいスポットではあるんだ。
きっと奥まで行けば、自殺者の遺品等が見つかるに違いない。
私も樹海で死のうと思ったことが、何度かあって。
よくよく考えたら地元の人に迷惑だし、行く労力をかけるのが惜しいから辞めた。
きっと、それが正解。
仕方無いから、観光で行こう……。
逝くときは、ひとり静かに。誰にも迷惑かけずに、逝きたい。
それは、とても難しいけれど、切実な願い。
僅かな心の灯火は
蝋燭を吹き消すように消えた
潰えた希望
明るい未来などない
ー恥の多い生涯を送ってきました
まさしくその通りで
思いかせえば
羞恥羞恥羞恥の嵐
さながら私は葉蔵のようで
ヒロポン中毒にもなっていないし誰かと心中しようとしたこともないけれど
道化を演じていた…自らを偽っていたという点では
非常に共通点も多く
決してマトモな最期は送れないだろうと
常々思う
薄暗い精神病棟の中で一生を終えるのだ
不完全な私は
いつも戸惑い迷う
さながら迷路の中にいるようで
答えが
出口が
見付からない
私はこれから
何処へ向かっていけば良いのだろうと
どうすべきなのかと
自問自答する朝
ストロングを煽りながらそんな詩を考えてみた。
自分でも何を言っているのか、何を伝えたいのか、よく分からないけれど。
ただ一つ確かなのは、自分が不完全な存在であり尚且つ欠陥品であることだ。
完璧な人間なんて、この世に存在しない。けれど私は、それに惹かれてしまう。
見た目も中味も完璧で、周囲から一目置かれる存在。
私はそれになろうと必死に努力し、そして失敗した。
未来のことばかり考えないで、今この瞬間を考えろと主治医も母も言うのだが。
気ばかり焦ってしまい、挙句の果てには墓の心配までする始末だ。
けれど人間なんて、いつ死ぬか、生命の危機にさらされるか、分からないのだ。
北朝鮮から飛んできたミサイルが落ちてくるやも知れないし、大地震が起きて家具に押しつぶされるやも知れない。
だから今は、今この瞬間を「生きている」ことを喜ばしく思わなければならないのである。
例え不完全で満足のいかない自分でも愛し、前を向いていかねばならない。
ー仕方ない、生きてるだけでよしとしよう。
そう思えたら、万々歳である。