『哀愁をそそる』
“哀愁”という言葉。
なかなか、使うことがなくって、
どんな時に使うかな?って考えた時、
“切ない”という単語と、すごく似ているような気がした。
でも、哀愁は、もっとこう、酢いも甘いも味わって来た先に、感じ取れるような感情という気もする。
“切なさ”の向こう側という感じ。
“切ない”という言葉には、苦しいけど、諦めきれないという切羽詰まった感じがする。だから、胸が痛いんだと思う。病気に例えるなら、急性と言ったとこだろうか。
一方、“哀愁”という言葉には、諦観の響きを感じる。
かなしくて、さびしくて、辛かったけど、でも、それは仕方の無いことだよねって、もう受け入れている。溜息さえ、もう出尽くした。そんな気がする。
そして、もう慢性の状態だ。悲しみを包含した状態がデフォルトになっている。言わば、かなしみと共に生きることを覚悟した、とも言えるだろうか。
私は今、片思いをしている。
相手の方には家庭がある。
そして、彼には、哀愁をそそるような雰囲気がある。
だから、今、とても切なさを感じている。
胸も痛くなるし、意図せずに、大きな溜息も出てしまう。
この、思いが、哀愁に変わった時、
私は、私の人生を前に進めるのだろうか?
答えはわからない。
だけれども、哀愁という言葉に、
私は今、希望を感じているのだ。
縋りたいくらいに。
『鏡の中の自分」
『眠りにつく前に』
今日はどんな一日だっただろう?
起きてから、眠りにつくまでの、
時の流れを振り返る。
こんなことがあったな、とか、
あれって一体何だったんだろうとか、
これができたな、とか、あれができなかったな、
とか、はたまた、
何もできていないクソみたいな一日だったな〜とか。
私は、圧倒的に最後が多いけれど。笑
できたことが、一つでもあれば、良かったなぁ、と。
マルを付けよう。
できたことが、ひとつも思い浮かばない、いわば、
クソみたいな一日だと思った時は、、、
何もしないということを、した!!
そんなふうに思っちゃえばいいか。なんてね。
案外、何もしないで一日を過ごすことって
難しいらしい
トイレにも行かなきゃ行けないし、喉が乾けば、
何も飲まないで過ごすというわけにもいくまい
スマホも何となくダラダラと見続けてしまうもの、、、
何もしなかったわけじゃないけど、無意味な時間を
過ごしてしまったなぁ、と感じた時は、、、
無意味とは?
、、、有益なことが何もなかったということ?
有益とは?
、、、自分にとって、何か得だと感じること?
得とは?
、、、損をしていないということ?
もしくは、未来に役立つかもということ?
損とは?
、、、何かを失うということ?
役立つとは?
、、、助けてくれるということ?
失うとは?
、、、もう手に入れられないということ?
助けるとは?
、、、うまく行くようにすること?
私にとっての意味があること、とは、
何度も手に入れることができるようにする力、
もしくは
未来がうまく行くようにする力を
持てるようにすること。
なのかなぁ〜??
うまく行くってなんだろう?
何を手に入れたいんだろう?
これがわからないと、いつまでも
意味があるって、感じられないのかも。
じゃあ、明日は、
自分にとって、うまく行くって、どんなことだろう?
自分は、何を手に入れられたら、嬉しいんだろう?
そんなことを考えてみようかな?
眠りにつく前に、そんなことをつらつらと考える。
明日はちょっと、
意味のある一日になりそうだ。だといいな。