『カーテン』
「しんどいなぁ〜」って、感じたら
心のカーテンを閉めようよ。
カーテンは、あなたの心をふんわりと包み、
大事な心を守ってくれるはず。
いつでもまた、開けることもできるんだよ。
閉め続けるのも、あなたの自由。
隙間から、様子を伺って、
またじっくり考えるといい。
その時間が、あなたの火照った頭を
冷やしてくれるかもしれないし、
もしかしたら、震える心をあたためてくれるかも。
自分を取り戻せたら、また帰っておいで。
『怠けてるなぁ〜自分』って、自分で自分を
いじめようとしていたら
心のカーテンを閉めることに成功したんだ!って
自分を褒めてあげてみない?
閉じられたカーテンを 開けた瞬間に
目に飛び込んでくる 鮮烈な 景色の感動は、
カーテンが閉じられていた人にしか
味わえないのだから。
開けっぱなしのカーテンなんてもったいない。
閉じて、開けて、またすぐ閉じて、
ドキドキしながら開けてみたり、
閉じ続けてみて、隙間から覗いてみたり。
あなたの大切なカーテンに
優しく、そっと手を添えてみて。
『涙の理由』
『ココロオドル』
だるくて 重たくて 動けない体を
なんとか、やっとの思いで 浴室に運んだ後
泣きそうな思いで、シャワーを浴びる
でも、その途端に ココロオドル
湯気と共に 悪魔の魔法が解けたかのよう
もっと早くに 入れば良かったな なんてね
だるくて 憂鬱で 行きたくない体を
押し出して 無理矢理 連れて行った
緊張で張り裂けそうな心で 扉を開ける
でも、しばらくすると ココロオドル
笑顔と共に 死神の魔法が解けたかのよう
もっと早くに 来れば良かった なんてね
眠たくて 苦しくて 麻痺したような頭を
踏ん張って 気合い入れて えいや!と持ち上げた朝
フラフラしながら洗面台に向かい、歯を磨く
でも、後から振り返ると ココロオドル
勇気と共に 魔神の魔法が解けたかのよう
あの朝があったから 今日一日 充実できたなぁ
意地張って 後に引けなくて 正当化したい心を
引っ張って 向き合って 本音の声を聞き出した
恥ずかしさと罪悪感とフワフワしたプライドに
いびつに縮こまった心で ごめんなさいと伝える
でも、許してもらえて
今度は “ありがとう” また、“ごめんなさい”って、
泣いている私
涙の後には 虹が掛かり ココロオドル
絆と共に 魔王の魔法が解けたかのよう
もっと早くに 素直になれば良かったなぁ だってさ
『束の間の休息』
かつて、ホームヘルパーの仕事に
従事していた時のこと。
一日、多い時で10件ほどのお宅に訪問をしていた。
各お宅には、電動自転車で伺う。
お宅にてケアをする時間よりも、
移動時間の方が多いのではないかと思うほど、
電動自転車を漕いだこともあった。
ケアが立て込んでいるときは、息つく間も無く
移動が続く。
雨の日も台風の日も、雪が降る日も
漕いで漕いで漕ぎまくった。
自転車で進めない時は、押して歩いた。
だから、とても天気が良くて、気持ちのいい
晴れの日はご褒美のように感じた。
サイクリングの時間として
楽しんだりもしたし、
空や季節の移り変わりに心を和ませ、
癒してもらったりもしていた。
ある日、ある時、突然に出会う、空の一幅の名画に
心の中で歓声をあげ、涙腺が緩むことも度々だった。
ある時は、荘厳で雄大な夕暮れに、またある時は、
世界の始まりのような朝焼けに、そして、
またある時は、目に焼き付いて離れない月夜に、、、
私は、この束の間の休息が大好きであった。
この束の間の、空や風や景色との対話が、
疲れ果てた私の心と体を、癒し、再びの活力を
もたらしてくれた。
もしかしたら、しあわせって、
この束の間の、休息の中にあるんじゃないかなと
そんなふうにも思われた。
例えば、もしも、この休息が永遠となったとしたら、
どうだろう。
私は、これほどまでに、あの束の間の自然との対話に、心を震わせているだろうか。
息つく間もなく、取り組まなければならない義務に
向き合い続ける膨大な時間。
その、合間に突然にやって来る奇跡のような
自然との出会い。
私は、自分の果たすべき義務と格闘する中で、
突然、神様から送られて来るギフトのような
このご褒美こそ、私の心を真実に満たしてくれている
ような気さえした。
むしろ、この束の間のご褒美のために、
私はがむしゃらに働いているのではないかと思うほどだった。