明日は『お祭り』なんだぞ。もっとやる気を出せ!
ちゃんと歩道の草を刈れ!街中だけ綺麗にしたって意味ないんだ!遠くから歩いてくる人たちもいる。国道沿いに歩道があって、皆そこを会場に向かって歩いていく。そこからは花火も凄くよく見える。
なのに何ですそのみすぼらしい雑草の凄さは!
明日は花火なんだぞ。何が「未来に繋げる」だ!
見に来る人々はこうなるかもしれない。「帰り道で、変な虫に刺された所が半年治らなかった。もうあそこには行きたくない。」「歩道の雑草が凄くて嫌な思いをした」せめてこうならないように整備を。住んでる町じゃないけど、職場が近いので愛着が沸いてすごく気になる。歩道だから特に雑草が目立って見映えが悪い。車で通過するだけでも良い気持ちはしないものだ。市の端っこの町はこうなりがちなのは分かっている。でも街中整備だけ頑張ったってダメなのだよ。
いくら祭りの準備頑張っても道が汚きゃ、「ちょっと寄ってこうか」とはならないぞ。
『誰かのためになるならば』、心細くない。
優子になるはずだった『私の名前』は、
生まれた朝の天候で変わったそうな。
『私の当たり前』は、面白いアプリを探すこと。
こんな当たり前いやだ。
苦痛に耐える猫の話
猫は我慢していた。愛しむ猫が他の猫といるのを見るたび我慢していた。一緒にいたその相手が好きだった場合、その場は腹を立てずに目をつむる。束縛するタイプでもないし、別にその猫の相棒でもないのでそれを見つけても直ぐに目をそらしていた。もしも相棒だったなら、目をつむる事なく許していただろう。相棒じゃないから目をつむらなきゃ自分が壊れてしまう。
動物占いが羊だった猫は、束縛しないせいで過去の相棒達を不安がらせた。猫は相棒に窮屈な思いをさせたくなかったし、要領良くするタチじゃなかった。
ただ、猫として嫌いな猫の側に愛しの猫が接近しているのを日に何度か見てしまうと烈火のごとく腹が立って嫌悪感で溢れてもうそ奴等と関わりたくなくなる。良い記憶まで勝手に失くなろうとしたりする。
あざとさは異性には関係ないようだ。猫も同じだった。真似こきのあざとい同性猫は大嫌いで気持ち悪いとすら思っているが、異性があざとくてもあまり感じない。そこまで自分は気に入られているのかと思ってしまうがそれだけだ。ただ、愛しの猫に卑怯な真似をするような猫は異性も同性も気に入らない。
愛しの猫にも自分と似たような所があると知っていた猫は、もうどうしようもなくどうしようもなかった。似ているはずなのに何故なんだと思ったりもする。自分が持ってない面も沢山あって、そこがまた愛しかったりする。姿を見ても行かなかったからどうでもいいわけじゃないし、探さなかったから気にしていないわけでもない。気になりすぎて絶対に見ない時もあるし、愛しの猫が嫌な猫達に攻撃されそうなときは波風立てないように絶対に近づかない。
こんな悲しいことってあるだろうか。
こんな事を気にしなくても上手に生きていける、普通の猫になりたい。何処かで花火の音が聞こえた。