【海へ】
僕の住む町は海は近い。ただし、海水浴が出来る海辺へ行くのには電車で約二時間はかかる。海水浴をするならの話だ。
海を見るだけなら最寄駅から数駅乗れば行ける。海っぽい名前の駅を降り、改札を抜ければすぐ港が見える。港へ続く道の両端には南国っぽい木が立ち並び、一気に海っぽい光景になる。海風が吹くのを感じながら、ゆっくり歩道を歩く。夏も終盤に差し掛かってはいるものの、まだまだ暑い。滝のように汗が額や腰から流れている。
数分後、港へ到着した。展望デッキの広場の目の前はもう海である。デッキの手すりに上半身を預けた。数メートル下は穏やかに波打っている。近くには工場が立ち並び、工場の反対側は観光用の小船がぷかぷかと桟橋で揺られている。海水浴が出来ないのは貿易港だからである。水平線の先には小さく貿易船や工場などが見えた。
僕はすう、と息を吸う。潮の香りがする。夕方だからか、海の底は紺色で見えそうにない。昼間でも見えないかもしれない。流石に水深は浅いとは思うが、それでも底が見えないだけでも得体の知れない恐怖はある。しかし不思議だ。海を眺めていると心なしか落ち着いた気分になる。僕は空を見た。夕日は空と海と工場を照らす。忙しない一日なんてまるでなかったみたいだ。
僕はしばし時間を忘れ、日が沈むまで、眺めていたのであった。
【裏返し】
本は良い。知識を得られるし、文字から想像を自由に膨らませることが出来る。そもそも本という形状が好きだ。活版技術や冊子にするという技術を普及させた過去の人類に感謝を言わざるを得ない。こうして気軽に読めるのはこうした軌跡があってこそだ。
そしてそれら本達が一同に会する、図書館や書店という空間はまさに知識と想像と技術の社交界である。ありとあらゆる本が沢山集まる空間というのは、読書好き本好きとしては脳汁幸せホルモンがどはどばなのである。
個人的な図書館と書店の違いとしては、図書館は本にとっての歴史があるということ(旧い文献が沢山あるため、情報の比較や振り返りには強い)、書店は流行や売筋が分かりやすいということ(そして何より買うことが出来るという)時代によっては、本は非常に稀少で、鎖につけられて持ち出しが出来なかった、ということらしいので、そう考えると今という時代に生きられて良かった。
本題にいつ入るのか、という話なのだが、私はいつも図書館で本を借りたり、書店で本を買う際には、いつも裏表紙を表にしてしまう癖がある。
図書館なら裏表紙に貸し出し用のバーコードがあり、書店の本にもバーコードがある。貸し出しカウンターやレジに渡す時に、作業がしやすくなるだろうという配慮もあるにはあるのだが、それ以上に、自分の選んだ本や好きな本の表紙を他の人にあまり見せたくないからだ。
この気持ちが分かる人間は他にいるだろうか?多分大半の人間は気にもすらしないだろう。裏表紙を上にするのは全然平気なのに、表紙を上にするのだけは照れが入ってしまうのだ。
独占欲?自意識過剰?それとも別の何かか。
果たして分かる時が来るのだろうか。
【鳥のように】
自由に空を舞って
世界を見下ろす
街も山も海も何もかもが
玩具のように見えるだろう
鳥は良い
空を飛べるのだから
朝のさえずりと共に
雀 雉鳩 椋鳥
たまに知らない顔もいる
庭の木の実を
啄みにやってくる彼らは
空を舞うことも
自由を知っている
人間は飛べないものの
飛ぶ手段は知っている
飛行機を乗ることはつまり
自由になるということだ
【さよならを言う前に】
これだけは言わせて
ばーか
本当に馬鹿だ お前は
こんなに相応しいオンナ
なかなかいないのにね
私の前から居なくなったことを
うーーんっと後悔するが良い
振られた負け惜しみだって?
違うわ
歓喜の雄叫びだ
お前より幸せになってやるという
勝利宣言
すっかり空になった
かつては
ケーキが入っていたであろう
冷蔵ショーケースに向かって
そう 唇を噛み締めた
私にはスナック菓子がいるもの
いるもの……
【空模様】
晴れているのに
雨が降る
雨が降っていないのに
雷光がある
最近の空はちょっと 不安定だ
まるで 気分屋の自分みたいだと
何故か 親近感を覚えた
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以下は雑多な文。
久々の投稿。コピー本を作っていたりと、
暫く投稿を休止していました。
無事、製本が終わったので、また気まぐれに
書いていきたい。
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