あいまいな空
あいまいな空を見つめる曖昧な私。
昔はもっと自分の言いたいことをはっきりと相手に伝えていた。
だが、年を重ね他人との衝突を厭うようになった私は曖昧なままであることを是認するようになった。
空気というものを読みすぎて、本来あったはずの自分の姿を変えるのは果たして正しいことなのだろうか。
このままではダメなのではないかという批判的な自分がいる一方で、いやこのままでいいと自己弁護する自分もいる。
内省的議論はどこまでも平行線だ。
あじさい
白色の紫陽花の花言葉は寛容だそうだ。パートナーを認め合う意味を込めて結婚式の装飾にも使われるようだ。
僕が初めて友人の結婚式に出席したのは26歳の頃だった。
とても思い出に残る素晴らしい結婚式だった。
だが、残念ながら友人は2年の結婚生活の末、離婚してしまった。
2人の間に子供がいたことがさらに状況を複雑にした。
2人の離婚の原因は些細な行き違いから始まっている。
もし、2人が感情的にならずにもっとお互いに寛容であれば今も夫婦生活が続いていたのではないかと思う。
好き嫌い
文章を書くことは30代の後半を過ぎた頃から好きになった。
それ以前は仕事上こなさなければならないから、嫌々書いていた。
なぜ文章を書くことが好きになったのか考えてみる。
きっかけはやはり読書を始めたことだろうか。
年間100冊は読むようになってから、言葉がスラスラと出てくるようになった。
文章を書くのがますます好きになったのはこのアプリケーションの影響も大きい。
匿名で気楽に投稿でき、また読みたいと反応がもらえると気分が高揚する。
僕の「文章を書くことが好き」は色々な人に支えられて成り立っているのだと思う。
街
高校生の頃、学校帰りに友人達と街に繰り出すのが好きだった。
毎日のように遊んでいた。
今ではそれぞれが家庭を持ち、会えるのが数年おきになってしまった。
彼らと遊んでいた日々は僕にとって、人生という荒波を乗り越える上でとても大切な思い出だ。
朝日の温もり
朝の日差しの温もりを感じながら眠い目をこする。
1日の始まりが良い天気だとその日の気分までも高揚する。
僕はあと何回そんな温もりを感じることができるのだろう。
ウクライナやイスラエルのニュースを見てふとそんなことを考えた。