君と一緒に
僕は本屋に行くのが好きだ。
甥も本が大好きで、僕と一緒に本屋に行きたがる。
甥と一緒に本屋に行く時は必然的に彼の読みたい本を探すことがメインになり、自分の読みたい本を探す時間がなくなる。
それは決して嫌なことではない。
本を通じて甥とコミュニケーションを取ることができるからだ。
共に本屋に行くようになって甥のことをもっと知るようになった。
君と一緒に巡る本屋での時間は僕にとって心穏やかな時間だ。
冬晴れ
今日の1日はまるで冬晴れの空のように穏やかだった。
甥っ子に会うことができたからだ。
甥っ子は僕のお尻によく顔を埋もれさせる。
汚いからやめようね。と言ってもやめてくれない。
今日はたまたま僕がオナラをした瞬間と甥っ子が僕のお尻に顔を埋もれさせた瞬間が見事に合致した。
甥っ子はびっくりしたのか泣き出してしまった。
叔父さんの汚尻から放たれる放屁に驚くのは当然だ。
今日はそれから僕のお尻に顔を埋もれさせることをしなかった。
お尻に顔を埋もれさせることをやめさせるには荒療治として劇的な効果だったのかもしれない。
幸せとは
人が幸せを最も深く感じるのは幸せが通り過ぎてからではないだろうか。
年齢を重ね、当時は色々なことが無駄に見えていた学生時代がとても尊く思えた。
もっと日々を大切に過ごせば良かった。
大切な人を失って、毎日その人のことを想うようになった。
あの時、あの人にこんなことをすれば良かった。
こんな言葉をかければ良かった。
そんなことを繰り返し考える。
幸せについて考える時、いつも後悔がついて廻る。
僕の中で幸福と後悔は表裏一体のようだ。
幸福も後悔も僕の人生を構成する大切な要素だ。
日の出
10年以上前、友人たちと初日の出を見に行った。
みんなで見た日の出はとても印象深く今でも記憶に残っている。
時が経ち、それぞれ家庭を持ったり、仕事が忙しくなり疎遠になってしまった。
今年、新年を祝うメッセージを送った。
返信が来ない事態を想定してもいたが幸い返事が帰ってきた。
彼らとはもう初日の出を一緒に見に行くことはないのかもしれない。
それでも、彼らとの楽しかった思い出が僕の人生を彩ってくれることを忘れずにいたい。
今年の抱負
今年はうんこを漏らさないように注意したい。
オナラをしようと思ったら、オナラとは異なる怪音が実物を伴い出たことが多々あった。
アルコールと油物の取り過ぎにも気をつけるよう自戒する。
取りすぎると脱糞に直結してしまうのだ。
僕の肛門括約筋は最近活躍しなくなったので節制に勤しまなければならない。
幾度となく漏らし情けない思いを繰り返してきた。
年を重ねれば自動的に立派な大人になると思っていたが間違いだった。
少なくともうんこを漏らさない大人になりたい。