「夢じゃない」
目の前に貴方が居る。
ホントに貴方なの?
夢じゃないの?
ずっと会いたくて、恋焦がれてた。
まさか、会えると思えなかった。
きっと、私の一生分のツキを使ってしまったのだと思う。
……そう思う位、会いたい、演奏を聞きたい推しがいます。
これがホントに現実だったら、狂喜乱舞です。
いつかホントになると嬉しいですが、地方住まいの私にはほぼ訪れないチャンスです…
「心の羅針盤」
私の心の羅針盤は、自分の中での譲れない事の数々。
「人の迷惑になる事はしない」とか、「困っている人は助ける」とか。
細かく言うとキリがないけど、要は「自分に対して恥ずかしくないか」「娘にその姿を見せられるか」が基準になっている。
そこが私にとっての絶対に譲れない事だから。
人にどう思われるとか、そう言う事ではなく。
自分の中の軸に反しないか、自分の狡さで自分を誤魔化していないか。
親として、娘に見せて恥ずかしくない姿なのか、自分が娘に教えたい、伝えたい事なのか。
そう考えて行動すると、自然に背筋が伸びて、自分や娘に恥じる事はしなくなる。
時には感情に流されてしまう事もあるけど、でも、それを胸において行動する事が、少しずつでも「正しい」自分で居られる事だと思う。
だから、まだまだ不完全だけど、それを心の羅針盤にして、間違わずに進んで行きたいと思う。
「またね」
「またね」と言える事は幸せ。
もう二度と会えないかもしれない「さようなら」を内包していないから。
またね、と言っても、もう二度と会えないかもしれない。
それでも、お互いに会いたい気持ちがあるから、「またね」と言える。
世の中には、どれだけ気持ちがあっても、「またね」と言えないシチュエーションがある。
例えば死別とか。
どれだけ思っても、願っても、望んでも、次はない。
そう思うと、「またね」と言える今は、とても幸せ。
この幸せを噛み締めて、この関係性を大事にしていきたいとと思う。
「泡になりたい」
人魚姫は、泡になる事を望んだのだろうか?
大好きな王子を刺す位なら、自分が泡になりたい、と思ったのか、ただ刺せなかった結果として泡になったのか。
人の心の中なんて、その人にしか解らない。
いくら周りが考えても、自分の身に引き当てても、人の意見を沢山聞いても。
それでも、その人のその時の気持ちは、絶対に全てを共有する事は出来ないし、100%理解は出来ない。
だからこそ、人は一生懸命自分の想いを伝えようとする。
言葉で、仕草で、視線で、表情で、音楽で、花で。
何でもいい。一部でも気持ちが伝われば、
完全に分かり合えなくてもいい。
ニュアンスだけでも伝われば。
そうやって、少しずつでも想いを共有し、歩み寄って行く事が大切だと思う。
伝え合う、分かり合う。
その努力を放棄した瞬間から、希望すら抱けなくなるから。
「ただいま、夏」
今日のお題は2通りにとれる。
帰ってきた「ただいま、夏」と、真っ只中の「只今、夏」
日本語って、つくづく難しいよね。
同音異義語、ことわざ、慣用句、方言。
そもそも音が50音(厳密には違うけど)もあって、更にひらがな、カタカナ、漢字。
更には尊敬語、丁寧語、謙譲語。
もう母国語にしてる人間でさえ訳わかんなくなる時があるのに、母国語にしてない人で日本語を学ぼうって人から見たら、ホントに腹立つレベルだろうな、って思う。
でも、逆に。
だからこその美しい表現がある。
わび、さび、季語、色の名前、花の名前。
色んな物が細分化される分、送り手や受け手の感性も試される部分が大きくなると思う。
そうやって少しずつ磨かれた感性は、とても繊細で、日本の心の機微に触れるものだと思う。
だから、昔からの正しい日本語は大事だと思う。
でも、それとは真逆だけど。
最近では日本語の乱れや誤用も騒がれてるけど、正直半数以上が間違えてるなら、それはもう、新しい日本語でいいんじゃない?とも思う。
新しい言葉も、その時代に合っているんだから、目くじらたてる必要はないと思う。
だから私は、昔からの正しい日本語も、今時の言葉や誤用も含め、それらも全て内包した日本語の魅力を、もっともっと知りたいと思う。