「君と見た景色」
僕は忘れない。
君と見たあの景色を。
全てが輝いていて、美しく見えていた。
そして、僕達の関係が変わってしまった今でも、その景色は変わらずそこに在り続ける。
変わらない物も、移り行く物も。
全てが美しくて、愛おしくて、哀しくて、優しい。
だから、僕は忘れない。
君と見た景色も。
君との思い出の全ても。
狂おしい程に、君を愛した事を。
全てを、忘れない。
「手を繋いで」
君と手を繋いで歩いたこの道。
君と座って、長い時間話をしていたベンチ。
君と初めてデートをした映画館。
ペアのアクセサリーを買ったお店。
あの時は全てが輝いていたのに、今は全てが何だか悲しげに見える。
何処を見ても、「あの時は君が居たのに」と思って余計辛くなるだけで。
いつかは、君との思い出を他の誰かと上書きをして、君の事を思い出さなくなるのだろうか。
いい思い出だった、と懐かしく笑える日が来るのだろうか。
失恋なんて、珍しくも何ともなくて、数え切れない程あるだろう。
でも、皆がいつかは立ち直って、次の恋を咲かせてる。
だから、きっと僕もいつかは、そうなるだろう。
でも、せめて今だけは。
この辛さも、切なさも、悲しみも。全てを感じたい。
君との全てを忘れたくないから、君を僕に刻みつけるまで。
「どこ?」
方向音痴の私には日常茶飯事の、「どこ?」
地図でも迷う、ナビでも迷う。
家族には「何で方向音痴なのに、ナビの言う事聞かないの?」つて言われるけど、「だってあの子の案内解りにくいんだもんっ!!次左とか言われても、どこ?って思ってる内に通り過ぎるもん!!」って言うと呆れられる。
私が運転してると、夫がしみじみと「人ってこうやって道に迷うんやな……」って納得した事もある。
ちなみに家は、母も娘も相当酷い方向音痴で、三代続く筋金入りの方向音痴。
でも、結局何やかんやでちゃんと目的地には着くし。
それに、迷わなければ見られない景色や、見つけられなかった店とかもあるから、実は私自身そんなに困ってなくて。
そして、今日も私は楽しく迷い続ける。
「ここ、どこ?」
「大好き」
子供の頃は、何の屈託もなく「大好き」って言葉が言えた。
でも、少し大きくなると、何だか照れが先に来て、「大好き」どころか、「好き」さえも、簡単には口に出せなくなった。
ホントは、「有難う」とか「好き」とか、プラスの言葉はどんどん使えばいいと思うんだけれど、プライドなのか何なのかは解らないけど、いつからか素直に言えなくなってた。
でも、不思議なもので、又そこから年を重ねると、何故か言えなかった「大好き」が、何の抵抗もなく言える様になってくる。
それはきっと、過去に飲み込んでしまった、とても大切な言葉の重みを知ったからだと思う。
言えなかった、飲み込んでしまった、沢山の「大好き」や「有難う」。
そんなに大きい事じゃなくても、日々のホンの小さな褒め言葉。
そんな言葉はどんどん口にしよう。
あの時伝えていれば、あの時口に出していれば。
そんな後悔を抱えて生きるより、ホンの少しの勇気で、自分の気持を伝える事の方が大切。
今言わなければ、もしかしたら一生伝えられないかもしれない。
今言う事で、この先の人生が変わるかもしれない。
だから、ちゃんと伝えよう。
後悔の大きさと比べたら、その時の勇気はホンのちょっとだけだから。
自分の為にも、相手の為にも。
大切な事は、キチンと言葉に出して伝えよう。
「叶わぬ夢」
どれだけ願っても、叶わない夢がある事は解ってる。
それを解った上で、それでも尚且つ、もう一度貴方と会える事を願わずには居られない。
一目だけでいい。一言だけでいい。
ただ、貴方の目を見て、伝えたい。
どれだけ貴方に感謝しているか。
どれだけ貴方が私にとって大きな存在だったか。
ホントは言いたい事は沢山あるけど。
でも、一番伝えたい事はこの一つ。
あの日言えなかった、「有難う」の、ただ一言を。