「踊るように」
今は洗車って言ったら、コーティングして後はセルフで水洗い、とかが多くなってきたけど、昔はガソリンスタンドの洗車で、スタッフの人が拭き上げやら中掃除やら全部してくれてた。
その時代に、あるガソリンスタンドでスタッフの人が踊る様な動きで、って言うかほぼ踊りながら作業してくれる所があって、業界内の洗車コンテストでも優勝して、ニュースにも出てた。
で、その時に言ってたのが、別に踊ろうと思ってやった訳じゃなくて、作業を効率化しながら動いていた結果、こんな動きになった、って。
心の中では、「そんな訳あるかい!!」ってツッコミと、「いやいや、意外とそんなもんかもしれん。流れる様な作業が実は効率いいかも?」って何故かフォローする様な気持もあって。
まぁでも見てたら楽しめるし、作業も丁寧だし、店的にも売上も上がっただろうし、みんなwinwinで誰も困らないし、全部いい感じだな、と思った。
やっぱ幾つになっても遊び心って大事だよね。
「時を告げる」
毎日正しく時を刻んでくれる時計。
正午になると鳴る自治体の音楽放送。
時間通りになる近所の学校のチャイム。
入学式、卒業式、成人式、入社式。
時が経った事を知らせてくれる。
誕生日、記念日、金婚式、還暦のお祝い。
思い出を振り返りながら、時間の経過を告げてくれる。
でも、一番正確に毎日の時間を告げてくれるのは、自分の腹時計だったりする、どうでもいい様な事実······
「貝殻」
子供の頃海に行って、貝殻を拾うのが楽しみだった。
二枚貝、巻貝。色とりどりのキレイな貝もあれば、見るからに食用の、美味しそうだけど地味な貝もあった。
キレイな貝は宝物で、たまにお祭りなんかで売ってる貝殻の詰め合わせ?みたいなのも、全部が宝物だった。
大人になって、ただキレイというだけではなかなか価値を見い出せなくなり、ブランドだったり、金額だったり、流行りだったり。
色んな付加価値が気になって、純粋にキレイだけでは楽しめなくなって、あんなに輝いていた宝物が色褪せて見えた。
でも、その時期も通り越すと又、純粋にキレイ、というだけで楽しめるようになった。宝物、とまでは言えないけど、捨てたくはないし、飾っておきたいと思えた。
その物以外の余計な部分を削ぎ落として、ただ自分の価値観や感受性で、良い物を良いと、好きな物は好きと、自信を持って言える様になった。
貝殻は何も変わってないのに、自分が変わったせいで見え方が全く違う。価値が全く違う。
多分、貝殻だけじゃなくて、世の中全部そうなんだろうなあ、って今思った。
「きらめき」
湖の水面に反射する光。
木々の間から差し込む光。
子供が水遊びする時の水飛沫。
綺麗なアクセサリーの輝き。
華やかな世界の輝き。
生き生きとしている人の輝き。
一生懸命勉強したり、仕事をしたりしている人の輝き。
苦しくても、歯を食いしばって頑張る人の輝き。
当たり前の毎日を、当たり前に過ごせる様、日々キチンと生活している人の輝き。
君の笑顔。
君の少し困った時の顔。
一生懸命何かをしてる時の顔。
何なら、怒った時の顔も。
君の生き方の全てが、きらめいてる。
君に見合う自分でいたいから、自分も頑張れる。
頑張らないといけないと思える。
きらめく君に認められる、きらめく自分でいたい。
そう思わせてくれる君が大好きです。
そう思わせてくれる君に、有難う。
「些細なことでも」
貴方が大好きで、その気持ちがお互いに抑えきれなくなって、それで貴方と結婚して。
幸せだった。
ずっとこの幸せが続くと思っていた。
付き合い始めの頃の様な情熱はなくなっても、穏やかな愛情に形を変えて、幸せでいれると思っていた。
なのに、最近は貴方のちょっとした言葉や、些細な事に腹が立つ。
脱いだ洋服が裏返しだったり。
畳んだ洗濯物をいつまでもそのままにしておいたり。
俗に言う名もなき家事をしない時に腹が立つ。
話しかけてもスマホをいじったまま、顔も見ずに返事された時。
私が言った事を聞き流していて、全然覚えていなかった時。
大事にされてないな、って思うと腹が立つ。
何でも私に任せて、自分で何もせず。自分の頭で考えず、いつも人に丸投げする事も腹が立つ。
一番腹が立つのは、私の事はまだいいけど、子供の事を一番に考えずに、親になったのに自分中心で、いつまでも変わらないところ。
不幸だとは思わないけど、色々腹が立つ。
大きな事から小さな事まで。
何でこんな些細な事でも腹が立つんだろう、って思ってた。
そしたら、ある日突然ストンと納得出来た。
あ、私、この人の事嫌いなんだって。
だから、普通なら許せる事も腹が立つんだな、って。
だからどうってわけじゃないけど、何かわかったらスッキリした。
だからってどうなるわけじゃないけど。
だからどうしようってわけじゃないけど。