夏草
夏になると通学路の草は私の背を越えるほど伸びて、視界を塞ぐほどだった。
ちょっと腕が当たると血がにじむ。
そんな草もたくさんあった。
子供たちの中では包丁葉っぱと呼んでいた。
夏が終わるころ、地域のおじさん達がこぞって草刈りに励む。私の父もビーバーを持ってグイングインと刈っていた。奉仕作業だ。
誰かのお父さんに会うと声をかけられ手を振るけど、なんとなく恥ずかしいと思っていた。
学校からの帰り道の、刈られた草たちの匂いが大好きだった。
生をとめられたのだけど、根本まで抜かれたわけではなくてまだまだ生きてるよと言っているようなあの青青い匂い。
胸いっぱいに吸い込むと、体の隅から隅まで青い匂いになっている気がしてよくわからないけどドキドキした。
あれは夏草の断末魔なのか?
それでも私には、はんってそりかえってる草たちの姿がなんとなく想像できた。
あれは私の中で明らかに生の匂いだった。刈られても刈られてもまたすぐに視界を塞ぐ。
生きてる匂い。
だからこっちもドキドキしちゃうんだね
あの青臭い、青い匂い。大好きな夏の匂い。
思い出すだけで胸がうずうずする。
ここにある
どんな本を読んでも、読むたびに違うことを思う。
その一瞬は自分がすごくできる人になった気がするけれど、次の日には昨日と同じ自分。
いるのかいらないのか分からない知識を詰め込んで、あれをしてみよう、こうしたらいいのかとこれからの人生をあれこれあれこれ考えるけど、すぐに消えていく。
シャボン玉の方がもっと高く飛べるかも。
当たり前じゃないか。
ずっと考えてるだけだもの。
昨日と違うわけがないじゃないか。
自己満足の世界にいるだけだもの。
ほら、答えはここにあるじゃないか。
後は行動するだけだって。
分かっているんだ。
外は猛暑。その中をガーっと走ってみたら少しはスッキリするだろうか。
その勢いでなんでもやったらできるんじゃないかとまた午後下がりの妄想。
素足のままで
ライブのステージで歌う時は必ず素足になる。
冬でも野外でも関係ない。
なんなら子供とカラオケ行っても、素足になる。
これは10代で歌を始めてからずっとだ。
素足になると床や土の感覚がひんやりと心地よい。
歌は身体全体を使う。
そうすると地に足がついて、指にも力が入り踏ん張れる。地面の下の方からエネルギーをもらえる気がする。
たまに素足仲間に会うと、妙に親近感がわく。
おっ。あなたもですかと、それだけで仲間意識が芽生える。
元々人間だって裸足で歩いていたのだから、ごく普通のことだ。
さすがに日常生活は素足では歩けないけど、できるものなら基本は裸足でいたい。
どこか海の近くに住んでいたら、いつもビーサンで、すぐ脱げるのになぁと先日海に行った時に思った。
でも、貝殻と見間違えてキラキラ光るガラスを拾ったとき、あ、靴履いててよかったと靴のありがたみを感じた。
この先も、歌うときのスタイルは変わらないだろうから、足元は事前によく見ないとね。
素足カラオケ、おすすめです。
もう一歩だけ
頭の中のグルグルをノートに書くようになってから、ずいぶん悩む時間が減った。
それでも動悸が止まらなくなるほど、グルグルする時もある。
その時は掃除をしてみる。
悩みがなくなるわけではないが、気づけば動悸はとまっている。
悩むより考える方が冷静になると気づいたのも最近だ。
でも、何十年も感情お化けを背負って生きてきたので、お化けの重さに耐えきれなくなることもある。
まだまだ足りない。書け、動け、考えろ。
もう一歩だけ進めば、自分という枠組みを外から冷静に眺める事ができるんじゃないか?
ずっとしてこなかった書くという行為に救われながら、その境界線を大股で飛び越えてみたい。
見知らぬ街
はじめて行く街は匂いがちがう
普段自分の住んでいる場所とは違った匂い。
そこに住んでいる人達なのか、建物なのか、温度なのか。
だからはじめて行く街は落ち着かない。
慣れない匂いに、そわそわドキドキしてしまう。
それが見知らぬ街を訪れる醍醐味なのかもしれない。
そして、住み慣れた場所に戻ると馴染みの匂いにほっとする。
子どもの頃、友達の家に遊びに行くと自分の家とは違う匂いがして、やはり落ち着かなかった。
その感覚に近いのだろう。
自分はあまりアクティブなタイプではないので、住み慣れた場所、家にいるのが一番落ち着く。
でもたまに見知らぬ街を訪れた時だけ感じる、あの妙なドキドキ感に憧れてでかけたくなる。
矛盾はしてるけれど、嫌いではないんだな。