素足のままで
ライブのステージで歌う時は必ず素足になる。
冬でも野外でも関係ない。
なんなら子供とカラオケ行っても、素足になる。
これは10代で歌を始めてからずっとだ。
素足になると床や土の感覚がひんやりと心地よい。
歌は身体全体を使う。
そうすると地に足がついて、指にも力が入り踏ん張れる。地面の下の方からエネルギーをもらえる気がする。
たまに素足仲間に会うと、妙に親近感がわく。
おっ。あなたもですかと、それだけで仲間意識が芽生える。
元々人間だって裸足で歩いていたのだから、ごく普通のことだ。
さすがに日常生活は素足では歩けないけど、できるものなら基本は裸足でいたい。
どこか海の近くに住んでいたら、いつもビーサンで、すぐ脱げるのになぁと先日海に行った時に思った。
でも、貝殻と見間違えてキラキラ光るガラスを拾ったとき、あ、靴履いててよかったと靴のありがたみを感じた。
この先も、歌うときのスタイルは変わらないだろうから、足元は事前によく見ないとね。
素足カラオケ、おすすめです。
もう一歩だけ
頭の中のグルグルをノートに書くようになってから、ずいぶん悩む時間が減った。
それでも動悸が止まらなくなるほど、グルグルする時もある。
その時は掃除をしてみる。
悩みがなくなるわけではないが、気づけば動悸はとまっている。
悩むより考える方が冷静になると気づいたのも最近だ。
でも、何十年も感情お化けを背負って生きてきたので、お化けの重さに耐えきれなくなることもある。
まだまだ足りない。書け、動け、考えろ。
もう一歩だけ進めば、自分という枠組みを外から冷静に眺める事ができるんじゃないか?
ずっとしてこなかった書くという行為に救われながら、その境界線を大股で飛び越えてみたい。
見知らぬ街
はじめて行く街は匂いがちがう
普段自分の住んでいる場所とは違った匂い。
そこに住んでいる人達なのか、建物なのか、温度なのか。
だからはじめて行く街は落ち着かない。
慣れない匂いに、そわそわドキドキしてしまう。
それが見知らぬ街を訪れる醍醐味なのかもしれない。
そして、住み慣れた場所に戻ると馴染みの匂いにほっとする。
子どもの頃、友達の家に遊びに行くと自分の家とは違う匂いがして、やはり落ち着かなかった。
その感覚に近いのだろう。
自分はあまりアクティブなタイプではないので、住み慣れた場所、家にいるのが一番落ち着く。
でもたまに見知らぬ街を訪れた時だけ感じる、あの妙なドキドキ感に憧れてでかけたくなる。
矛盾はしてるけれど、嫌いではないんだな。
遠雷
満月の日、月の明かりだけで歩く。
昼間のように明るい田んぼの真ん中を、足音だけがカサカサ響く。
田んぼの先は海へ続く道。
松の木が生い茂り、光をさえぎる。
急に真っ暗になり足音と同じくらいに、自分の心臓の音が外に漏れ出している気がする。
松林の奥は、目をこらしてもこらしても闇。
風の音か、生き物の動く音か。
足音以外の何かに全身から汗がふきだす。
若干小走りになりながら、坂道を登る。
体がうずうずとするほどの恐怖。
坂道を登り切り、平坦な1本道を走る。
早くこの闇を抜けなければ。
ぱっと目の前が明るくなって、視界がひらける。
明るい満月の下、白く光る海。
まんまるい月が海に映ってはぼやけ、映ってはぼやけて波の上を泳いでいるようだ。
海の先にはワニの形の山。
ピカっと雷光が天から山へ落ちる。
満月と雷!
なんという組み合わせだろう。
私は思わず砂浜を踊りながら走り出した。
さっきまでの恐怖はそこにはなかった。
きっと忘れない
6月だっていうのに、入道雲。
まるで真夏のような青空。
そんな日に、あなたは逝ってしまった。
毎日会いに行っていたのに、その日は突然だった。
間に合わなかったことを、どれだけ悔やんだだろう。
あなたをのせた車の後を、それぞれの車が連なって走る。まるで、大名行列のようだ。
車の窓から真っ青な空と、もくもくの入道雲。
決して忘れることはない、梅雨の晴れ間。
帰りの車で思い出したのは、あなたの温かい手。
横断歩道で私の手をひいてくれた柔らかい手のひら。子供の時、世界で一番美しい手だと思っていた。
ハンドルを握る私の手は、あなたの手とは大違い。
あれから何年もすぎたけれど、あなたのいなくなった日はよく晴れる。
毎年思い出すのはあの日の真っ青な空と、入道雲。
決して忘れることのできない、あなたのいなくなった日。