「
」
「え? 見えていない?
そりゃあ残念だ。
今の今までこの世界の事を話していたのに」
⊕無色の世界
朝方はまだうすら冷えるこの時期。
私は公園の桜の樹の下で、人を待っていた。
見上げると、色濃くなった桜が視界を埋め尽くし、
隙間から見える薄雲の白が、キャンバスのようだった。
待ち人を待つ間、手持ち無沙汰を紛らわせるため、いつものように思考の海に思いを馳せる。
桜というと、どこか儚い印象がある。
桜自体が別れの季節に咲きがちなのが原因の一つだが、
散る姿が命に例えられたり、樹の下には死体が埋まっていて、その血で桜はピンク色なのだなんて都市伝説もある。
満開の状態でさえ、どこか寂しげに見えるのは気のせいだろうか。
花見の名目で宴会をするのも、もしかして寂しげに見える桜を励ますためかもしれない……なんて想像するのだ。
まぁ十中八九、人間が単純にお祭り騒ぎしたいのと、酒が飲みたい都合によるものだが。
そうやって可愛げもないことを頭の中でこねくり回していると、待ちかねた人影が公園に入るのが見える。
今まさに花弁が降り注ぐ樹の下で、私は彼に……。
いや、何を伝えるかはご想像にお任せしよう。
⊕桜散る
夢というと複数意味がある。
寝てみる夢や、将来の夢からちょっとしたことで叶えられるかもしれない身近な夢まで。
夢見る少女だった頃は昔の話。
大きくなるにつれ、大人の垣根を越えて年齢を重ねるうちに、段々と夢見がちではいられなくなってしまった。
ませていた女子高生時代から、打算的に将来を考えるようになると尚更であったが、今思えば当時はまだ夢を見ていても良かったのかもしれない。
小学生の頃から文章書きで、絵は一切描けず、
小説だけでなく日記を含め文章を書くことだけが何より好きだったのに、最近では暇があれば他の娯楽に溺れ、読むことさえままならなくなってきてしまった。
挙げ句、過去に書いた文章を読み返しては、「昔の方が書けてたなぁ」等とため息を付く始末。
とはいえ、まだまだ趣味として手放しきれずズルズルといる。
そこで出会ったのがこのアプリ。
毎日のお題となると、書き慣れた内容や書きやすい内容ばかりではなく、絞り出さないと書けないお題もきっとあるのではないだろうか…。
頭を捻って小説を書いていた時分のように
折角出逢えたこのアプリで、ジャンル問わずリハビリがしたい。
これもまた、夢見る心と信じたい。
⊕夢見る心