血色の悪い、やつれた顔になっていないか。
誰かをひどく恨んだ時の、醜い顔になっていないか。
心のありようまでも映し出す。
今日も鏡の前で、確かめる。
明けても暮れても
大好きだったあの人のことを考えていたくて、
眠る時間すら惜しいと思っていたあの頃。
片想い中のドキドキした時間こそが楽しくて、
恋に恋していたあの頃は、
今はもう、遠い昔。
紅茶の香りがする場所に行くと、何となく落ち着かず、そこに自分がいるべきでないような「アウェー感」を感じてしまう。
コーヒー党だけれど、決して紅茶が嫌いなわけではない。ただ、普段の生活の中にはない、よそ行きの香りと認識するのだ。
紅茶にも様々な種類があって、それぞれ味や香り、美味しい淹れ方にも特徴や違いがあると耳にしたことはあるが、奥深いそんな世界に足を踏み入れたことは、これまでにない。
子どもの頃、学校から帰るとお客様が来ていることが時々あった。たいていは近所の人や母のパート仲間、或いはママ友で、他愛ない話をしに母を訪ねて来た人たちだ。
お客様がいる間、リビングは「いつもの」リビングではなくなる。普段ならためらいなくテレビをつけ、冷蔵庫を開けて飲み物を取ったり、おやつを好き勝手に食べるけれど、お客様がいると、それらをやってはいけないような気がしてしまうのだ。自分の家なのに、何となく居心地が悪く感じて、思うように振る舞えなかった。
お客様の中には、ちょっと高価なお菓子を手土産に持って来てくださる方もいて、それらをごちそうになることもあったが、そんな時に、こちらも根っからのコーヒー党だった母が決まって淹れるのが、めったに飲まない紅茶だった。
そんな子ども時代の記憶とリンクしていたのだろう。どこか自分には似つかわしくない「高嶺の花」のように思い込んでいたのではないだろうか。
でも、もう卒業してもいいのではないか。手頃な値段で手に入る、美味しい紅茶もある。コーヒー党なのも変わらないし、今さらツウにはなれないけれど、気軽に手を伸ばしてみたら、私の意識もアップデートできるのかも知れない。
ある日の朝。
保育士さんの腕に抱かれたものの、
これ以上できない、というほど
両腕を私のほうに伸ばし、泣き叫ぶ我が子。
幼すぎて言葉を話せないこの子の、
全身全霊の「行かないで」。
保育士さんに会釈をし、心を鬼にして
振り返らずに、仕事に向かう。
歩きながら、私も泣いた。
あなたの想いに応えられないママで、ごめんね。
クローゼットや引き出しの奥から、
引っ張り出してきた「お気に入り」たち。
なんか、久しぶりだね。
ちょっと忘れかけてた。
「お気に入り」が似合う、自分でいたい。
今シーズンも、よろしくね。