美しい薔薇には刺がある。
棘も含め美しい。
「どうしてこの世界は、こんなにも汚いのかな。」
学校帰り、田んぼの脇の細い道を、自転車を押しながら胡桃(くるみ)がつぶやいた。
妬み、屈辱、強欲、承認欲求、独占欲、執着、憎悪___
この世界は、あまりにも気持ち悪すぎる。
それを聞いた幼なじみの凪咲(なぎさ)が、少し笑ってこう言った。
「人間はね、世の中の“仕組みを知りすぎたんだよ。」
「仕組みって?」
胡桃が首をかしげる。
「例えばさ、どうすればみんなに注目されるか、どうすればお金が稼げるか、どうすればあの子に勝てるか、どうすれば権力を持てるか.......
それって全部、“自分が満足する人生”を送るための計算だよね。その答えを、みんなもう知っちゃってるんだ。」
「知りすぎた、ってこと?」
「うん。たとえば、"目立ちたい”と思ったとき、どうすればいいか。
運動神経がずば抜けてるとか、めっちゃイケメンとか、面白いとか、
"こういう人が注目される”って、みんなもう分かってるの。
その条件に近づこうと必死になる。
だから汚い感情がむき出しになるんだよ。」
胡桃は静かに頷いた。
「たしかに。条件をクリアしないと、“価値がない”みたいに扱われるもんね。」
「そう。だからこそ、みんな自分のことばっかり考えて、誰かと関わるときも、“目的”がなきゃ関わらない。」
「ほんと、生きづらい世の中だよね。」
「うん。」
凪咲は遠くを見つめていた。
その目には、もう希望なんて残っていないようだった。
この世界は、汚れている。
泥水よりも、ずっと濁っていて、醜い。
人との関わりさえ、打算でできている。
誰かの視線の奥にはいつも「自分のため」が見える。
結局、みんな自分のことしか考えていない。
そんな世界に失望しながら、それでも私は、今日も必死に生きている。
私は、君と歩いたこの道を忘れることができない。
さあ行こう
勇気をだして、一歩踏み出してみて
大丈夫
わたしもいっしょにいるよ
ふたりで行こう
前に進むだけでいいの
少しずつ 少しずつ
そうしたら、本当のじぶんになれるから
水たまりに映ったのは
しっかりやっているつもりなのに、私はいつも間違えてばかり。言われた事もこなせず、信頼がどんどん失われるばかり。
周りからの軽蔑の目。みんなできているのに、私はそれができなかった。
今日も失敗。何故こうも生きるのが下手なのかと自分自身を責め続けた。
涙が出た。1回泣き出すと止まらなかった。いっそ、身体中の水分が涙になって外へ出てしまえばいいと思った。
こういう日は、近所にある神社の木の長椅子に座り心を落ち着かせる。この神社は人が滅多に来なくて小さい頃からお気に入りだった、私の一番好きな場所。
ふと、下を見た。そこにはさっきまで降っていた雨で作られた水たまりがあった。
空が映った。神社の木が映った。私が映った。
どれも本物だけど、本物じゃないみたい。
もう1つの空。もう1つの木、そしてもう1人の私。
水たまりに映る空は、虚構の世界のようだった。
灰色で、静かで、水たまりの向こうの世界には、人の気配がしなかった。
「私も、そっちの世界に行きたい。」
もう1人の私に話しかけた。
向こうの私は微笑み、安心したような顔をしていた。
いつでも来ていいよ。と言っているみたいな表情で。
それは苦痛から解放されると共に、恐怖でもあった。