陶子

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3/20/2024, 12:20:52 AM

【胸が高鳴る】

LIVE!LIVE!!LIVE!!!

オールスタンディングのライブハウスでも、全席指定のNHKホールでも、客電が落ちてステージにメンバーが出てくるあの瞬間!
ヴォーカルの第一声!!
嬉しさと興奮で胸がはち切れそうになって、拳を突き上げ大声で叫ばずにはいられない!!!


「「「ヒロトーーーッ!!!!」」」

3/18/2024, 2:04:23 PM

【不条理】

兄が亡くなった時、「本当にこの世は不条理だ」と強く強く実感した。

当時の兄は二十歳になったばかりで、大きな企業に就職しており、友人も多く、可愛い彼女もいた。
そして何より、歳の離れた妹である私をとてもかわいがってくれていた。
本好きの私のために、よく車で本屋に連れて行ってくれた。
(兄の愛車であった真っ赤なスポーツカーは、いつもピカピカに磨かれていてとてもカッコよかった。)

かたや私ときたら、ブスで陰気で愛想が悪く内弁慶、体育がてんでダメでいじめられっ子だった。

どちらが世界に必要な人材か、考えるまでもなかった。私が死にたかった。

「善人は神様から早く呼ばれてしまう」的なことを聞かされた際は、「神様はバカだ」と心の中で悪態をついた。

兄が生きていれば今頃は、可愛い奥さんと子どもに恵まれて幸せに暮らしていただろう。
私は二十歳をとっくに過ぎて、結婚はしたが心身ともに弱く、三回も入院・手術をしており、子どもは望めない。仕事も無理だろう。


私が地球で生きていても無駄な気がする。
やはり兄が生きているべきだった。
本当に神様はバカだ。

3/17/2024, 1:47:57 PM

【泣かないよ】

数年前、父が死んだ。
ガンが発覚してからきっかり一年で死んだ。
享年80歳。
まあ死ぬよね〜的な感じで、母も私も親戚も、特にこれといったリアクションは無かった。


クソ親父だった。
遊ぶ金欲しさに複数のサラ金業者から借金をし、返済せずにいたので家に取り立て屋が来たこともあった。
なぜか当時小学生の私が対応させらせた。怖かった。

毎月の給料日には外食に連れて行かれたが、それ以外で家計に金を入れたことはなく、すべてパチンコや趣味の買い物で消えていたので、私たち兄妹は母の稼ぎのみで生きていた。
死んでから母に聞かされたが、浮気三昧でもあったらしい。
そらあいくら金があっても足りまへんわなあ!!!

何度母に「頼むから離婚してくれ」と頼んだことか…
あのクソ親父なんて居ないほうが生活が楽になることは、小学生の私でもわかるレベルでヤバかった。
それでも別れずに最期まで連れ添った母の気持ちは未だにまったくわからないが、なぜか「陶子のために別れなかった」と言われ白目剥いた。私の必死の訴えは聞こえていなかったのか???


葬儀は、クソ親父本人の生前の希望通り直葬にした。クソ親父はなぜかわからないがお坊さんを極端に嫌っていた。
お経が無い分安く済むので、こちらとしてはどうでもよかった。
本当は病院からノンストップで焼却炉に放り込みたかったが、あいにく炉が混んでいた。
そのため一晩だけ葬儀場で遺体を安置することになり、それなら最期に一応顔を見ておきたいとクソ親父の妹一家が集まってくれた。
この人たちは大企業勤めのエリート揃いだ。クソ親父は大変外ヅラが良く、自分の所業をこの人たちには知られたくなかったらしいが、昔から母が逐一バラしており筒抜けだった。なので集まってもしんみりすることなく、笑いながらお互いの近況報告をして解散した。クソ親父の思い出話はほぼしなかった。


誰一人泣かなかった。
泣けと言われてもあの親父では泣けないよ。

3/17/2024, 6:50:11 AM

【怖がり】

我が家のチワワはとても怖がりだった。
特にカミナリが苦手で、雷鳴が聞こえるとかすかに震えていた。
私が床でヤンキー座りをしてみると、太腿の間でオスワリしてすっぽり収まって、カミナリが去るのをじっと待っていた。
いじらしくて可愛かったなあ。

あの子が空に還ってからもう10年近く経つのに、未だに思い出してはフフッとして、そのあと少し胸がキュッとなる大切な記憶。