唯の人

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6/23/2024, 10:51:12 AM

本当に幼い、幼稚園に通っていたくらいの子供の頃、
私はとにかくだめだめな子供だった。

かけっこはもちろんいつも最下位だし、
絵を描き終えるのも周りの子達より2週間も遅かった。
もう周りはおむつなんて履いていないだろう時期に
私はまだおむつをはいていたのも覚えている。
朝は幼稚園に行きたくないと駄々をこねるし、
出されたご飯も好き嫌いが多くてなかなか食べない。
せっかく親が作ってくれたお弁当を、嫌いだからと
食べずに捨てたこともあった。
(今思えば本当に最低です。謝っても謝りきれません。)

そう、本当にだめだめ。私が親なら泣いている。
なぜこんなに周りの子たちのようにできないのか、と。
でも、私の両親は違った。
私が悪いことをして叱ることはあっても、
私ができないことに対して叱ることは一度もなかった。
かけっこが遅くても、走りきったこと褒めてくれたし、
絵を描き終えるのが遅くても、完成させたことを褒めてくれた。
そのおかげで私は、自分がだめだめだったのは
よく覚えているけれど、そのことに負い目を感じた記憶はあまりないのかもしれない。


今日たまたま両親と喧嘩してしまったけど、
このお題で昔のことを思い出した。
今から仲直りしにいこうかな…

#子供の頃は

6/23/2024, 2:09:45 AM

さも当然あるかのようにおくってる日常だけれども、今、このなにもない日常があるというのはこの世で最も幸せに近いことではないかと最近思う。

朝起きて家族に「おはよう。」を伝え、嫌々ながらも学校に向かい、友人と「だるいなぁ。」「昨日の推しがやばかった。」などの会話を、振り返ってみれば毎日同じことを、よくもまぁ飽きないなと呆れるほどには繰り返し、うとうとしながらなんとか授業を乗り越えたあと、放課後は自習室に残って勉強する。下校時には友人と、今日も一日頑張った自分へのプレゼントと称し、コンビニスイーツを買ってそれを食べながら帰宅。家に着くと私には「ただいま」と伝えられる家族がいて、私のことをあたたかいご飯が待っているのだ。

この一連の日常をおくっている最中は正直、特別幸せを感じることはない。恥ずかしいことに、明日は学校さぼってカラオケにでも行きたいなとか、今日の晩御飯は魚かぁ…とか、全くもって自分が恵まれていることに気付いておらず、愚かなことを考えている。しかし、こうしていつもの日常から離れて、自分を俯瞰で見つめたとき、その日常をおくれるというのは幸せなのだなぁと、いつもしみじみと感じるのだ。

明日からまた、このいつもどおりの日常が戻り、私は懲りずに「だるいなぁ。」と思いながら毎日を過ごすのだろうけど、少しでも今日こうしてここに綴ったことを思い出すことができたら、いつもよりも大切に、幸せを噛み締めながら日常をおくれるのではないかと、ちょっぴり期待している。

#日常
#初めてだから長めですみません…