刹那
今、文字を打っている、この一瞬。
勉強をしようと、ペンを持つ、その一瞬。
推しのことを考えている、あの一瞬。
夢の中で、笑っている、いつかの一瞬。
それは、全て“刹那”である。
その“刹那”をどう生きるかが、人生を創る。
生きる意味
2、3年前から思っていることがある。
それは、生きたくない。ということ。
死にたいか、と言われれば違うし、
生きたいか、と言われても違う。
死にたいのではなく、生きたくないだけなのだ。
なりたい職業もなく、愛する人もいない。
あと何十年も、何のために生きるのか。
“生きる意味”を探すのなんて、もう辞めた。
善悪
人助けをすることは、善である。
だが、異性が助けた場合、痴漢行為と誤認され、
悪とみなされることもある。
助けられていながら、悪として訴える世の中なのだ。
盗みをすることは、悪である。
だが、それが兄弟を助けるためだった場合、
それは、一種の善とみなされることもある。
犯罪行為をしていながら、ヒーローとして、
善となることもできる世の中なのだ。
このように簡単にはひっくり返る、“善悪”。
真の“善悪”とは何なのか。
流れ星に願いを
流れ星は、見ようと思えば、見れる。
夜、山に行って、ずっと空を見上げるだけだ。
俺は、田舎の方に住んでいて、家からでも
だいぶ、見える。
部活で、朝4時頃に起きたときだって、
10分余りで、5個も見れたぐらいだ。
でも、願い事はしたことがない。
速すぎて、いつも出来ないのだ。
“流れ星に願いを”言えたら、苦労しないだろう。
ルール
ルールは、破るためにある。
ほんとにその通りだと思うときもある。
理不尽なルールに、国民が振り回され、怪我を負う。
そんなことが、あってはならないはずなのに、
今では、当たり前のようにおきている。
確かに、正しく、守るべきルールもある。
が、国民が危険にさらされるルールとなれば、
破るのは当然である。
「理不尽な“ルール”を破って何が悪い?」