さっきまで、この席には
誰かが座っていたらしく、
テーブルにはコップの水滴の跡が残っている。
じっと見つめてみる。
ここにコップの跡がつくということは
きっと私の向かいのソファに座っていたに違いない。
そう考えると、たしかに
少しだけソファがくぼんでいるような気がする。
ソファのくぼみは、ゆるやかに人影を残していて
そこにいた人が穏やかで、
ずっと長い間前のめりで座っていたことを感じさせた。
きっと、パソコンで作業したり
読書したり、誰かと話し込んでいたのだろう。
そう考えると、一人じゃない気がした。
空間は思い出を残すのだなとおもう。
夏の匂いの中にも、ひそかに春の面影はあるし、
寒さと暑さ、晴れと雨、夜と朝は繋がっている。
会話の糸口が見つけられず、
今日も暑いという話題で乗り切るだろう。
しんどいなあ、
頑張っても頑張っても
届かないや、自分が目指しているものに。
何を目指しているのか、
わからなくなって
暑さも相まって
頭がくらくらする。
家から駅までの道をイメージして、
①1番泣いた日
②1番笑った日
を思い出してみる。
でも、そのどれも思い出せなかった。
今朝真顔で行って
昨日真顔で帰ったくらい。
そういえば、道を歩いていて
感情が揺れ動いたことはなかったかも。
じゃあどういう時に感情的になるかというと
大体どこかの中に「いる」とき。
道を歩くときは、どこにも「いない」から
感情から解き放たれて、楽になる。
コーヒーを丁寧に淹れる作業が好きで、
お湯を注いで、粉がヒマワリみたいに
膨らんでいくのをじっと見る。
さっきまで、何か考え事をしていたせいで
万年筆の跡が指についていた。
湿度が90%を超える日だというのに、
なぜか加湿器をつけていたことに気がつく。
加湿器をとめて、万年筆を片付けると
忘れられたコーヒーの存在を思い出した。
すっかりコーヒーは冷めていたけれど
6月も半ばだということは覚えていた。