家から駅までの道をイメージして、
①1番泣いた日
②1番笑った日
を思い出してみる。
でも、そのどれも思い出せなかった。
今朝真顔で行って
昨日真顔で帰ったくらい。
そういえば、道を歩いていて
感情が揺れ動いたことはなかったかも。
じゃあどういう時に感情的になるかというと
大体どこかの中に「いる」とき。
道を歩くときは、どこにも「いない」から
感情から解き放たれて、楽になる。
コーヒーを丁寧に淹れる作業が好きで、
お湯を注いで、粉がヒマワリみたいに
膨らんでいくのをじっと見る。
さっきまで、何か考え事をしていたせいで
万年筆の跡が指についていた。
湿度が90%を超える日だというのに、
なぜか加湿器をつけていたことに気がつく。
加湿器をとめて、万年筆を片付けると
忘れられたコーヒーの存在を思い出した。
すっかりコーヒーは冷めていたけれど
6月も半ばだということは覚えていた。
もし、来世でも会えたら
別れることがはじめからわかっていても
傷つけ合う勇気を持って、
もう一度会いたいなと思う。
たしかにつらいこともたくさんあったけど、
成長した部分もそれ以上にあったから。
例えば、家の中から外を見た時に、
すごく風が強そうだとか、雲が厚そうに見えても
実際外に出てみると
意外にも穏やかで気温もちょうどよくて、
たまに見える陽射しのきらめきに心躍ったりする。
いまの安全な部屋の中の視点からだと、
たしかに「なんであんな悲劇」と思うのだけど、
渦中では、一瞬一瞬の
世界の美しさとグロテスクさに
目を向けることで一生懸命だったの、ね。
首をポキポキ鳴らして
肩をグリグリ回したら
なんだか、お腹がぐううと鳴りだした。
体の内部から音がするのが
少し落ち着かないけれど
生きているからしょうがない。
堂々と迷惑かけさせてもらおう。
適切な愛し方がよくわからなくて
何から何まで、ほどよく距離をとっていたい。