【通り雨】
◀◀【ジャングルジム】からの続きです◀◀
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社長が現場で作業している ―― 事務所で聞いたとき、何かの符牒か大袈裟な言い回し、もしくは聞き間違いだと思っていた。しかし倉庫の迷宮をさまよい、行き着いた場所で目にした光景はまさに耳にした言葉の通りであった。本当に社長 ―― 企業のトップ、代表取締役が作業着姿で安全靴を履き、ヘルメットをかぶり、ニトリルゴムの手袋をはめてフォークリフトを乗りまわし、荷捌きをしていたのである。ゴウゴウと通り雨のような騒音の中、エルンストが耳打ちしてくれた。「フォークリフトにいるのが社長、父のレオンハルトです。そして壁際で天井クレーンを操作しているのは専務のゲーアハルト、父の弟、僕のもう一人の叔父です」ナンバーツーまでもが協力しての現場作業 ―― いかに親族経営とは言え、なんとも壮観な眺めであった。
「おーい、onii−chanたち!エルがお客さん連れてご帰還したぞ!ちょうどいい、休憩しよう!」
いつの間にか赤毛のギュンターがそばに来て作業する彼らに大声で呼ばわってくれた。知らない単語が聞こえたが、どういう意味だろう?やがて騒々しい機械音が静まり、手を止めた最高役職の二人とその弟、三人兄弟が仲良く並んでアランとエルンストのもとへやって来た。
「社長、ただいま戻りました。遅くなってすみません」
エルンストが一番長身の人物へ歩み寄ると、その人物はヘルメットを脱ぎながら慈愛の笑みでおかえり、と温もりのあるよく響く声でねぎらいの言葉を掛けた。
「よくぞ見事に立ち回ってくれた、エルンスト。社長として父親としてお前を誇りに思う。仕事が終わったらそのときの冒険譚をぜひ話して聞かせておくれ。 ―― して、この御仁は……もしや?」
彼らから少し離れたところで佇んでいるアランへと視線を移して、訊ねる社長の声が弾んでいた。当然だが、誰だかはみな察しはついている。エルンストは笑ってうなづき、アランのもとへふたたび戻って腕に手を添え、彼らの前へと歩ませて引きあわせた。
「そうです社長、先に電話で話した恩人のジュノーさんを訳あってここまでお連れしました。 ―― 紹介します、アラン……ジュノーさん、彼がイダ・スティール・プロダクツの社長、レオンハルト・ヴィルケです」
さっきまで北の言葉で彼らと話していたエルンストだったが、アランへはわざわざ南の言葉に変えて話し掛けた。一番最初の出会い、ワークショップのときから交わした言葉が南の言葉だったから、僕の母語は南の言葉だと思っているのかな?そんなことを考えながら、まずアランは社長と対面した。
「わざわざこんなところまでお運びくださるとは恐縮です、はじめましてジュノーさん。社長でエルンストの父、レオンハルトです。あなたのことは息子から電話で伺っておりました。休暇でご旅行中のところを息子とわが社員の危機を救っていただき、本当に感謝しています」
社長も息子に倣い南の言葉で卒のない挨拶を述べてくれたが、あまり得意ではないのだろう、話しづらそうだった。脱いだヘルメットを小脇に抱え、手袋を外して少々汗ばんだ手をポケットチーフで拭ってから握手の手を差し出した細かい心遣いが実に上品で、アランはなんの衒いもない笑顔でにっこりと、差し出された右手を心持ち強く握り締めた。
「お会いできて光栄です、ヴィルケ社長。このたび縁あってエルンスト・ヴィルケくんと友人になりました、アラン・ジュノーと申すものです。お差し支えなければこのまま北の言葉でお話ししても構わないでしょうか?」
北の言葉で挨拶を返すと、途端に社長の緊張が一気に解けたようだった。
「おお君、我らの言葉がつかえるとはありがたい、お気遣い大いに感謝しますぞジュノーさん……いや、アランとお呼びしても?」
さっそく北の言葉に変えた社長は握手に加えて肩まで掴んできた。かなり親密度が上がったらしい。エルンストとは色の違う青い目がキラキラして見えた。
「あなたには是非そうお呼びしていただきたいですね。喜んで」
そう答えると莞爾とした笑みで掴んでいた肩をバシンと叩き、ひときわ強く親しみを込めて握手の手を揺らしたあとに解いてくれた。がっしりした長身で金髪、というよりは砂色の髪で碧眼、見るからに北の、さらに北の冷徹なイメージを思わせる身体的特徴の具現者だが、中身はどうも正反対らしい。無邪気でお茶目な雰囲気が伝わってくる。
「ならばアラン、当然君も私のことは今後社長ではなくレオと呼んでくれるのでしょうな。もう君はわれらの身内も同然だ、なあゲア、ギュン。お前たちも挨拶なさい」
にこにこしながら両脇に従えた二人の弟の背を威勢よくバシンとはたいてアランの方へ押し出した。社長のご機嫌なはしゃぎっぷりに苦笑いしつつ、エルンストが教えてくれた専務の方が先に右手を出してきた。おや?彼には見覚えがあるぞ。驚いてまじまじと見つめると相手も信じられないといった顔でまばたきを繰り返しアランを見つめ返す。ほどなく気を取り直した専務の方が先に声を掛けてきた。
「これは……どこかで聞いた名前だと思いました。どうも、ジュノーさん。何度か本社で顔を合わせたことのあるゲーアハルト・ヴィルケです。こんなところでお会いするとは奇遇ですね!」
そうだ、彼だ!自己紹介を聞いてようやく思い出し、アランはゲーアハルトと握手を交わして愉快に笑いあった。不思議な再会、今日はこれで二度目だ。乾杯!エルンストからヴィルケと聞いて、どうして今まで彼を思い出さなかったのだろう。完全にオフに切り替えていたため、仕事関係のことは頭から一切合財放り出していたようだ。隣でおとなしく佇んでいたエルンストが驚いて割って入ってきた。
「え、叔父さん、アランと面識があったの?」ほかの兄弟も目を丸くしている。へえ、彼のことはちゃんと「叔父さん」と呼ぶんだ。
「本当に奇遇ですね、ヴィルケさん。まさかあなたのお膝元でこうして再会出来るとは思いも寄りませんでした。ご無沙汰しています」
もしかしてバルマーの人?不思議そうな顔でギュンターも入ってきた。エルンストは詳細な説明まではしていなかったようだ。ここらへんでしっかり自己紹介しておいた方が良いか。そう判断したアランはゲーアハルトとの握手を終えてあらためて姿勢を正し、みなに向かって口を開いた。
「申し遅れました。実は僕、御社にはグループ企業の親にあたるバルマー本社のマーケティング部門でデータアナリストを務めていまして、ゲーアハルト・ヴィルケさんとは取締役が開く会議で何度かお付き合いがあったんです」
そう説明すると社長がたまげた様子で「なんと!世の中狭いものだ!」と大いに感嘆した。エルンストも驚いた顔のまま、「データアナリスト……本社……北へ移動していたんですか?」まるで知らない人のように聞いてくる。ああそうか、彼は講師としての僕しか知らないんだったな。そう察してアランは補足した。
「そうなんだ。君と初めて会ったワークショップはたしか南の支社だったね。あれから僕は間もなく本社に廻されてしまったんだよ」簡単にわけを言うと、そうだったんですね、だからさっきの電話、北の言葉で……と独りごちて納得した。そのやりとりに耳聡く気付いたギュンターがふたたび聞いてきた。
「あれ、ということは二人、今日初めて会ったんじゃなかったのか?なんだ、ワークショップって?」
エルンストがなぜか恥ずかし気に肩をすくめ、「オリエンテーション・ワークショップだよ。その……僕が二年前に参加した時の講師が、偶然このアラン・ジュノーさんだったんだ……」そんな決まり悪い調子で告げた。すると思い当たったらしい。ギュンターは大きくうなづき、
「あー、あれか、最初行くのグズってたやつだな。で行ったら行ったでめちゃくちゃ張り切り出して、終わったら今度はこの世の不幸を全部背負ったみたいに、いつまでも落ち込んでメソメソしてたあれか。へえ!こりゃまたすごい偶然だ!あんた、相当ウチに縁があるんだね」
感心した面持ちでアランとエルンストを見つめながら豪快に答えたものだった。
ほお……それは知らなかった。メソメソ……そんな様子のエルンストを、さっき食事の席で見たような……チラッとアランは隣を伺うと案の定、ギュンターの悪びれない赤裸々な暴露に真っ赤になって、うつむき加減にそっぽを向くエルンストの姿があった。
▶▶またどこかのお題へ続く予定です▶▶
【秋🍁】
coming soon !
【窓から見える景色】
coming soon !
【形の無いもの】
coming soon !
【ジャングルジム】
◀◀【声が聞こえる】からの続きです◀◀
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半分でまかせのアドリブは半分真実にもとづいた予定でもあった。エルンストの明日から六日間の休暇許可を得るため、イダ・スティール・プロダクツ社長がおわす社長室へとまっしぐらに向かっていたはずだったが、アランの物見高い行動によって事務所で予定外の道草を食ってしまったのであった。しかしそこで知った最新の情報により、無駄足を踏まずに済んだ二人はあらたな目的地を目指してメインフロアである事務所棟から外へ出、社長が居るという別棟の現場へと移動し、開けっ放しだった入口へ足を踏み入れた。そこは倉庫スペースのようで箱詰めされた製品の棚がズラリと並び、一見した限りでは人の姿は誰も見当たらなかった。が、見通しのきかない奥の方で北の言葉の掛け合いが聞こえ、その声に反応してエルンストがついてくるようアランにうなづきかけた。
「あれだ、居ました。行きましょうアラン、こちらです」
気配のある奥に向かいつつエルンストも北の言葉で呼びかける。「社長、ただいま戻りました!」するとわりと若い男の低いハスキーな大声が返ってきた。「おお帰ってきたか、甥っ子!ここだここだ!」迷路のような奥へ進んで行くと空棚の鉄骨ばかりがそびえるジャングルジムのような区画に入った。ぽっかり空いた隙間から顔が覗いて手を振っている。
「ギュンターも居たんだ、お手伝い?」
気付いたエルンストが歩みを止めず笑って話し掛けるとギュンターと呼ばれた隙間の男は面白く無さそうに顔をしかめた。
「こら、叔父さんと呼べっていつも言ってるだろ!」まったく!とさして怒っていない調子で独りごつ。エルンストと並んで歩くアランと目が合うと、やあ、と笑って後ろ被りの作業帽を脱ぎ軽く挨拶を交わしてきた。あらわになった男の髪は赤く波打つくせ毛で長く、後ろで一つに括られていた。一瞬彼が社長なのかと思ってみたが、パッと見た目はチャラい風体で、しかもエルンストの彼に対する少々雑な扱いにその考えを丸めて捨て、やあとアランも気安い笑みで挨拶を返しておいた。彼と社長が居るとおぼしき場所までまだ少し棚の迷路をぐるぐる周って行かねばならない。赤毛が顔を覗かせた空棚を通り過ぎたところでエルンストが南の言葉でアランに説明してきた。
「彼は僕の叔父でギュンター・ヴィルケ、同じく従業員なんです。主にCADデザイン担当。信じられないでしょうが、ここの素晴らしい建屋をデザインしたのが彼なんですよ」
わざと聞えよがしに言ったのであろう、聞こえてるぞ、エル!と辛口なエルンストの紹介に叔父も南の言葉で苦笑まじりに叱声を飛ばしてきた。微笑ましい叔父と甥の愉快なふざけ合い。イダ・スティール・プロダクツはいわゆる親族経営企業であり、ヴィルケの一族が中心となって切り盛りしているということを食事のおしゃべりでエルンストから聞いていた。部外者であるアランだが、傍から垣間見ただけでも確信できる、ここの職場環境の居心地の良さ、安心感、社員全体の仲の良さに、思わず深く憧憬の嘆声をこぼした。
▶▶またどこかのお題へ続く予定です▶▶