無垢な子供の瞳を見ると自分が汚れてるように感じて何もしてないのに罪悪感が襲ってくる。知識や知恵を己に貯めれば貯めるほど色々な物を知れるし視界が広がる。だが知らなくて良かったとか、知らない方が人生得だっていう話も知ってしまう。知らない事を悪や知ってる事を良しとするとかはとても理解出来るし、私自身そうだと思う。でもやっぱりそういう要らない情報や知識を持っていない無垢な子供は神聖だとかに見える。その子らはその知識を欲するだろうし私たちはそれを教えないとすることは出来ない。それを汚れと言うのかどうかは分からないが、無垢とは離れていってしまうのだろうと思う。無垢から卒業した事を後悔したり、勿体ないと言うのはお門違いだと私は思う。まあ無垢な子供が可愛くて愛おしいのは絶対的な事実だが、大人が汚れているのは違うと言えると思う。
終わりなき旅だと人生について語る人がいるが、旅をする人生は辛いのではないかと私は思う。留まらずに動いては休んでまた移動してって大変すぎるのではないか?例えである以上その言葉通りでは無いのは充分承知してるが、破天荒ではあるだろう。しかもそれが終わらないって、どれだけ人生って辛く厳しいものなのだろうか。まあ私の人生が終わりなき旅だったかは死んだ時の感想として残しておこう。それを今目指すのは間違っているだろうから、只々のんびり人生を進めて行く。それだけを目標にして日々精進して行きましょうかね。
「ごめんね」何がごめんねだ。謝るくらいならちゃんとごめんなさいって言えよ!そっちが悪いのに何でこっちと同じ立ち位置に居ると錯覚しているんだ。そんな言い方するならどうせならごめんで終わらせろよ。なんでねを付ける?なんで最後まで自分は悪いことしたかもねって雰囲気で終わらす?お前が悪いんだよ。俺の我儘で謝らせてんじゃないんだよ。心を込めろ。誠意を持て。じゃないと許さない。俺がイチャモン付けてる雰囲気にしてくるならば、こちらも堂々と文句と我儘をさせてもらう!誠心誠意謝れ!じゃないと許さない!許さなくて結構なら金輪際俺に関わるな!連絡先も消せ!お前にとっての融通の効かない奴が嫌いなら縁を切らせろ。そんな俺は頑固者なのだろう。だからコイツとは反りが合わない。もうさよならだ。バイバイ。昨日の俺へ仲直り出来なかったよ。ごめんね
半袖と半パンを着てシューズを履いて外に出て、自転車にサッカーボールとバット、野球ボールを入れて今日も僕は近所の公園に向かってペダルを漕ぎ出す。立ち漕ぎをしたらダメだって分かってるけど、早く行きたくて早く友達と遊びたくてやってしまう。最近学校で流行ってる曲を歌いながらご機嫌に僕は進んでいく。今日も良い一日になりそうだな。
天国と地獄は真逆の位置に存在していると言うが、どちらも死後の世界である以上、生きている内にはたどり着けない場所である。私は天国と地獄どちらに行くかは分からないが、一先ず言えるのは死にたくないだ。俺は地獄に行くんだろうなと諦めたりだとか、天国に行くために色々するだとかあるけれど、とりあえず生きる為の努力は最大限してからそれは考えるべきだろう。私は今生きるのに忙しくて、死後の世界なんて眼中に無いのだ。だから天国だとか極楽だとかに行くために善行を積むとか、罪を精算するだとかの話は要らない。要るのは明日の朝ごはん一択なのだ。こんな難しく生きるくらいなら輪廻転生だとかせずに地獄で暮らすのもありかもしれない。地獄も住めば都かもだしさ。逆に天国はブラックかもしれないわな。うん。こんな生産性の無いことを考えるのは止めよ。よし、ポテチ食って寝よ。おやすみ。