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1/28/2023, 7:28:30 PM

『街に生きる』

 田舎から出てきてから、もう十年になる。都市とまでは呼べないが、この辺では一番に栄えるこの街で、相応の時間を過ごした。ここにはまっすぐな畦道も、広大な稲穂の海もない。カエルやコオロギの鳴き声も聞かなくなって久しい。十年前は厭わしくて仕方なかったあの田舎の雰囲気が、今では随分恋しかった。
 高校を卒業する頃、とにかく親元から離れたかった俺はこの町で就職した。田舎で一生を終えることは嫌だったが、東京に出るほどの勇気はない。地方都市ですらないこの街は、中途半端な俺にはお似合いと言えばそうかも知れなかった。親の反対を押し切って就職した会社は、白か黒かと言えばそれはもうどっぷり墨に浸かったかのような…有体に言えばブラック企業だった。平日は残業、土曜は休日出勤が常態化していて、日曜の休みも家で死んだように眠るだけで終わってしまう。あるいは親の言う通り、素直に農家を継いだ方が随分と幸せだったのかも知れない。適当な啖呵を切って家を出たものだから、今さら田舎へ戻るようなこともできず、毎日を惰性で暮らしている。
 朝起きて、朝食もそこそこに家を出る。満員電車に揺られて着いた職場で、何の意味があるのかもわからない朝礼を終えて、一向に効率化の進まないシステムで仕事に忙殺される。昼休みはゼリー飲料を流し込み、栄養補助食品で空腹を凌ぐ。午後の記憶はほとんどない。授業中の教室、窓の外の空に流れる雲をぼんやり見ていたあのゆったりとした時間の感覚は、もう数年と味わっていない。あの頃の空と、仕事の合間に一服しながら眺める空は、今の方が数倍くすんで見える。体に悪い煙で肺を満たしながら、そうでもなきゃやってられない毎日を恨んだ。だからといって上司に辞表を提出する勇気もなく、会社と自宅の往復のような日々を繰り返している。
 憧れていた都会の喧騒は、自分には耐えられそうにもない。所詮は地方の一都市で仕事に忙殺されて生きる人生と、長閑な田舎の片隅で汗をかいて生きる人生と、どちらが自分にとって幸福なのか。つらつらと考えてはみても、結局結論は出せずにいる。結論を出す勇気がないと言ってもいい。今まで耐えてきたこの時間が無駄だったとは思いたくない、いわゆるサンクコストのせいだろうか。こんなことを考えている時点で、もしかすると結論は明白なのかも知れない。
 今日もまた、昨日と同じ一日だ。明日もきっと何も変わらない。あるいは変わらないことが幸せと言えるのかもしれないが、それが自分に当てはまるかと言えば明確な肯定はできなかった。
 ため息混じりに最後の一息を吐き出して、灰皿に煙草を押し付けた。そろそろ仕事に戻らなければ、残業時間が増えるだけだ。俺はガラスに反射する自分の疲れきった顔から目を逸らして、仕事の積まれたデスクへと歩き出した。

1/25/2023, 12:12:33 PM

『恋愛に必要なのは安心か?不安か?』

 恋愛に必要なのは不安である。なお、ここでの恋愛とは恋人になる前の段階を指す。なぜか?答えは簡単、人は手に入りそうで入らないものに惹かれるからだ。例えばあなたに好きな人がいるとする。あなたはその相手に対してとても積極的なアプローチをしている。誰が見てもあなたがその人にベタ惚れなことは明らかだとしよう。この時相手は、あなたの心変わりがないことを確信しているだろう。一種の安心と言えよう。さあ、果たして、自分のことを好きだと明らかに分かる相手を、人は自分に繋ぎ止めようとするだろうか。わざわざ自分の時間を割いて、相手にアプローチをするだろうか。コストをかけなくても、自分から離れないという確信があるなら、別のものにリソースを割くのが人間である。釣った魚に餌はやらない、ということだ。もっと有体に行ってしまえば、都合の良いキープ扱いされる可能性さえあるだろう。「愛されるよりも愛したい」なんて歌詞にもあるように、人は追われるよりも追いたいものなのだろう。片想いが一番楽しいなんて言われるのはそのせいだ。
 一方、相手が自分を好きなのかどうか判然としない時、人はその人を気にかけるのではないだろうか。「自分のことが好きなのか?いやでも……」。誰であれ、好意を寄せられることを不快に思う人は少ないだろう。そして人間とは好奇心を抑えられないものなのだ。果たして本当にその人は自分を好きなのか、気になってしまうのも無理はない。そうして気にしているうちに、自分がその人を好きになってしまった…なんて経験をしたことのある人もいるだろう。また、一度確信させてしまったとしても、その確信を揺らがせることも一つの手だ。自分を好きだったはずの人が他人に目移りすることを、快く思う人間はあまり多くない。「あの人、自分のことを好きなんじゃなかったのか…?」。当てが外れたような気分は、あるいは悔しさを呼ぶだろう。もしくは別の人間への対抗心が生まれるかもしれない。不安は人を惹きつけるのである。
 思うに、安心とは人を惹きつけるというよりかは、継続的な関係を築いていくために必要な要素であるのだろう。もちろんあらゆる人間関係において最低限の信頼は必要だが、安心を与え過ぎるのも良くないということだ。特に恋愛においてはそうだろう。
 不安という要素は恋人になる前の段階だけでなく、恋人同士となった後にも効果を発揮する。なぜか?人間とは慣れる生き物だからだ。誰でも初めは相手に自分をよく見せようと努力する。相手の気持ちを考え、好ましいと思ってもらえる行動をとるはずだ。だが、付き合っていくにつれ、相手が傍にいることが当たり前になっていく。「少しくらい良いだろう」「相手は自分を好きなはずだ」…。そういった思いは油断と慢心を生み、少しずつ関係を悪くしていく。例えば、付き合い初めは十分前に来ていた待ち合わせも、付き合いが長くなると「少しくらい遅れても良いだろう」と遅刻することがあるかもしれない。付き合い初めは張り切っておしゃれをしていたのも、徐々に気の抜けた格好になるかもしれない。事前にリサーチしていたデートも、馴染みの場所で済ませようとするかもしれない。いつまでも気張っていることは難しい。あるいは、「少し遊ぶくらい良いよね」と、他の人に目移りすることも考えられるだろう。そこで必要なのが、不安という要素だ。具体的には、恋人が自分以外の異性に人気があったり、自分のことを好きでいてくれるかの確信が持てなかったりといった例がある。もちろんやり過ぎるとそれはそれで破局に繋がるだろうが、安心だけでも関係は崩れるだろう。
 安心と慢心は紙一重だ。不安という要素は、恋愛初期の相手の気持ちを考え、好ましいと思ってもらえる行動をとる努力を思い出させる。恋人に対する行動としては当たり前のように思えるが、慣れるとそれすらしなくなるのが人間だ。適度な不安を抱かせるというのは、相手を繋ぎ止めるのにおいて非常に効果的なスパイスとなるだろう。