心だけ、逃避行
――君は、あの娘が好きだったんだね。
恋なんてくだらないもの、一生する気なんてなかった。
僕はただ、精進することが好きだったし、道のためならすべてを捨てるべきだと信じていたから。
だから、恋を肯定する君のことを、どこか可哀想で、馬鹿だなって思っていた。
――それなのに。
今の僕は、君に恋をしているらしい。
ありえない。本当に、ありえないはずだった。
なのに、君を見るたびに胸が高鳴って、苦しくなる。
「君が好きだ」と言えたら、どんなに楽だっただろう。
もし君と思いが通じ合ったなら、どれほど嬉しかっただろう。
切ない恋を打ち明けたあの日、
君は、僕があの娘を好きなんだと勘違いした。
かつて恋を馬鹿にした僕の言葉を、そっくりそのまま返されたとき――さすがに堪えたよ。
ほんとに、僕はバカだ。
すべてを捧げると決めた「道」があったはずなのに、
君を愛してしまった。
このままじゃ、君への想いが「道」を狂わせる。
その前に、覚悟を決めなければならないと思った。
――君が、あの娘と結婚すると聞いたのは、それから二日後のこと。
奥さんからその話を聞かされた。
驚くほど冷静だった自分にびっくりした。
けれど。
君とあの娘が目で合図を送りあっていたり、
誰にも見えない場所で会っていたりするのを見るたびに、
僕の心だけが、少しずつ死んでいくのがわかった。
作り笑いが得意になっていった。
嘘をつくのが、上手になっていった。
――恋って、こんなに辛いものだったんだね。
もう、逃げてしまおう。
でもその前に――
せめて君の心に、消えない傷を残していきたい。
君の、たったひとつの傷跡になりたい。
だから今日、僕は覚悟を決めた。
君は今、眠っている。
名前を呼んでも、もう目を覚まさなかった。
さよなら。
愛していました。
あの日の景色
記憶の中の君はいつも私の先を歩いてた。
だから君のことを思い出すと、私より少し小さな背中が、浮かんでくる。
いつも追いかけていたからかな。
置いていかれないようにって。
あの日、最後に君と話したときのことを忘れられない。
君をひとりにして自分だけ、楽になったこと後悔してる。
君を一人にしていいはずがなかったのにね。
私と離れてから、しっかりしたってきいたよ。口調も丁寧なものにしたらしいね。
ごめんね、全部背負わせて。
今度はちゃんと君のこと待ってるから。
置いていかないから。
こっちにはあんまり早く来ないでね。
波音に耳を澄ませて
あ、これ駄目なやつだ。
1年に一度、来るか来ないかの気分が底の底まで沈む日。
どうしよっかなって考えながらふらふら歩き出す。
気づけば夜。しかも海にいる。
なんでこんなとこまで来たんだろ。
自分でもわかんない。
まあいいやって思いながら砂浜に座ってぼーっと海をみる。
波の音に意識を向けてたらあいつのこと思い出した。
そういえば今日か。あいつの命日。
やっぱり僕はあいつのこと、忘れられてないみたい。
だって、お前とのこと今でも簡単に思いだせるし。
あの時は、お前が隣にいたから、何でもできる気がしてた。いや、何でもできた。
けど今はお前が隣にいない。
その事実がどうしようもないくらいに苦しい。
やっぱり大丈夫じゃない。助けて。1人は嫌だ。
なんで俺のこと置いていったの?
2人で最強だって言ったくせに。
「あー、やめたやめた。もう帰ろっと。」
もう過去のことだろ。
いつまでも過去に縋ってる自分が嫌になる。
こんな女々しい俺じゃ、あいつガッカリするかな。
今の僕、最強なんかじゃないもんね。