拝啓、僕の大好きな人へ
僕とあなたが会えなくなって今日で、1620日が経ちました。
君は今日、20歳になりました。
僕は半年前、一足先に20歳になりました。
今日は、君に伝えたいことがあって来ました。
僕は、15歳の時にあなたを救えなかった。
あなたは今、天国で笑顔で過ごせていますか?
元気にしていますか?
僕は、この5年間あなたを忘れることはできず、自分の無力さに絶望を毎日感じていました。
生きる意味も、分からなくなりました。
そして、あなたの元にいこうとしました。
でも、僕には勇気が出ませんでした。
僕はあなたを忘れることは出来ません。
でも、夢が出来きました。
それは看護師になること。
精神科看護師になり、その後、児童精神科で働けるように頑張ります。
あなたのような子供を一人でも孤独から救いたい。
だから来年、ここに来る時は良い報告が出来るように、一年間、頑張ります。
僕の大切な大好きな人へ。
20歳のお誕生日おめでとう。
どうか、見守っていてください。
僕は彼女の墓前で手を合わせてそう話しかけた。
__この場所で
綴 白__
あの8月の終わり。
君は最後まで無邪気に笑っていた。
ひまわりのような笑顔が今日もまた見つからなかった。
1595日。僕は君を忘れることはできなかった。
笑い声が鳴り止まない楽しそうな教室にある君の席に置かれた一輪の白い花は静かに存在していた。
その花が枯れても誰も見向きもしなかった。
あの日の夜に君の時計の針は刻むのをやめた。
僕の時計は今日も動いているのに、それが分からないんだ。
なぁ、僕は無力なままだよ。
僕は君を助けることができなくて、
アイツらは君という存在が消えたのに、
僕から君という大切な人を、
大好きな人を奪ったのに、
なんで笑っていられるんだよ。楽しそうにしてるんだよ。
5年前のあの日のことがなかったら、僕と彼女はここでまた写真を撮るって約束してたんだ。
20歳になった自分への手紙を一緒に読もうって、約束していたんだ。
なのに、なのに…。
僕だけが20歳を迎えてしまった。
写真を撮ろうって言った思い出の場所は、行けなくなってたよ。
約束したのにごめんね。
ネクタイを緩めて、僕は暗い部屋の中でくしゃくしゃになった手紙の傍で泣けなくなっていたはずの涙を流した。
あぁ、今日も僕の時計は時を刻んだんだ。
__時計の針
綴 白__
彼が先日、不慮の事故で亡くなりました。
「あななたち二人は末永くお幸せになりますよ」
そう、彼と行った占い師の言葉を私はふと、思い出した。
ねえ、あなた。
ここで、ひとつ昔の話をしましょうか。
私が高校2年生の時、あなたは私に、綺麗な桃色の勿忘草をプレゼントしてくれましたね。
それから3年後、私たちはお付き合いを始めました。
1年後。当時、21歳の私は精神的に疲れ、記憶喪失になりました。あなたの事も分からなくなりました。
しかし、あなたは根気強く私を支えてくれ、10年という月日を経て私の記憶が戻りました。時に喧嘩をしたり、私は家出もしましたね。私が家出をしたら、あなた、泣きながら必死に探してくれて、私を見つけたら泣きながら抱きしめてくれました。
私の記憶が戻り、10年越しの結婚式の後、あなたは私に白色の勿忘草をプレゼントしてくれました。
ねえ、あなた。
私から、あなたへプレゼントがあるの。
それはね、青色の勿忘草。
この花はね、あなたへ贈るプレゼントでもあり、結婚34年の記念のお花なのよ。
私も、栞にして持っておくから、私たち、必ず再会しましょうね。
__勿忘草
綴 白_
幸せとは、一体なんだろうか。
何を定義にその言葉があるのだろうか。
幸せから一本取ると、「辛い」になる。
幸せと辛いは反対だとごく一般的に定義されている。
その定義を疑う人はいるのだろうか。
幸せが辛い
辛いけど幸せ
人間は、「幸せ」「辛い」と言葉にすることはあるけれど、人間以外の生物は一体どうやってそれを感じ、表現するのか。
人間だって、一般例があるだけできっと数えられないほどの表現方法がある。
しかし、それを「一般的には」「普通」という言葉に縛り、個性というものを奪う。
奪うのはきっと、誰もができることであり、意識しなくても無意識にもできてしまう。
だから、幸せとは一体、なんなのか。奪うことさえできる、幸せ。
その問いを社会に問い、自身に問う。
答えを求めず、ただ今を問う。
__幸せとは
綴 白_
光が差し込む通路。
光が差し込む開放的な廊下。
回廊など調べないと分からなかった。
でも、人間という生物に焦点を当てて考えるが、人間という生物は無自覚にしろ、毎日新たなものを手に入れている。
それに気がつくのが手に入れた時じゃなくてもいい。
しかし、その情報は良いものばかりではない。
偏見に染まったもの、危険なもの、自分に悪影響を及ぼすものなど。
その辺に転がった石ころに例えると、その石ころ一つ一つに善悪があり、その善悪の石を無自覚か意識がある状態で選ぶのが自分だということ。
人間という生物は死屍累々の上で発展してきたが、きっとそれは今も続いている。
光という明るさが眩しくても開放的だと感じる。
それを感じることを当たり前だと思ってはいけない。
大袈裟にいえば、当たり前は存在しない。
だからといって、特別視は難しい問題にあたる。
今生きている事がいかに尊く、儚いものなのか。
この瞬間も命が消え、命が生まれる。
考えれば考えるだけ、思考の渦にのまれ、この世界の生死の交差を強く感じる。
私は今日も、人間という生物を問い、止まることのない生死の交差を感じ、考える。
__光の回廊
綴 白_