『優しくしないで』15/224
涙が溢れて止まらなくなるのは、
その出来事が悲しかったんじゃなくて、
悔しかったんでもなくて、
あなたの、その眼差しが、やわらかい目が、
あなたの、その言葉が、やさしい声が、
むき出しにされたわたしの心に突き刺さるから。
『カラフル』10/209
はじめは、あかいろ、きいろ、ももいろ。
あかるくて、げんきないろ。
おおきいコロコロで、ごうかいに。
でも、段々と、青色、紺色、灰色。
暗くて、静かな色。
細い筆で、繊細に。
そして、これからも。
世界というパレットから取り出された色が、
私の真っ白だったキャンバスを鮮やかに染める。
そうして、長い時を経て、ついに完成するだろう。
色とりどりに描かれた、私の人生が。
『楽園』19/199
真っ白なキャンバスに筆を走らせると、
私はいつも、少しの後悔を覚える。
ああ、なぜ私はこれを汚したのだろう、と。
勿論、描き進めていけば次第に色は調和し作品も浮かび上がって来るわけだが。
私がはじめに新品の画布を目にしたとき、確信する。
確かにそこに、楽園は存在するのだ。
木の枠で留められた白い窓から、君にも見えるだろう。
『風に乗って』12/180
がらら、がら、がしゃん。
乱暴に積まれた桶が震えて音を立てる。
旦那、今日は売れなくて虫の居所が悪いみてえだ。
おれにゃあどうすることもできんが。
仕方ねえ、ここは一つ。
きいきい、からから。
今朝は油を差し忘れて自転車の車輪が音を立てる。
はんどるに桶の取っ手を挟み込み、漕いでいく。
全く、何だってんだ、今日は。
鼠が桶を齧りやがったせいで使い物にならなくなっちまった。わざわざ桶を買わなくちゃあならんとは。
旦那、飛ぶように売れて嬉しそうだ。
ちゅう、ちゅう。
『刹那』20/168
私たちの生きる時間を細かく斬り刻んでいくと、やがて前後の関係は消失し刹那が世界に点在するようになる。
このことは、写真に似ている。
写真は世界から刹那を切り取り半永久的に保存する。
その時写真の中のものは時間から離脱し生き続ける。
対して、動画は何百の写真を繋げたものだ。
それは何百の刹那を集めたもので、ご存知の通り動画は時間の流れとして自然に適っている。
刹那というもの自体には時間という概念は存在しない。
しかしそれを集め繋げると次第に時間が生まれてくる。
ゆえに世界とは刹那の集合体であり、私たちは刹那刹那を生きている。