言葉にならないもの
全て言葉にする人はきっと一人もいない
考えてること思ってることを全て言葉に出す必要は無いし
言葉にならないことも沢山あるからだ
私の片想いは決して言葉にしてはいけなかった
私の好きな人には別の好きな人がいたから
その2人がいい感じになってるのを見て何も言えるはずがなかった
それに好きな人とはまず大切な友達の関係だったからその関係を壊すのが私は怖かったんだろう
ずっと友達でいられればそばにいられるから
もし自分の気持ちを伝えて関係が壊れたら、
もし1度上手くいっても別れたら今みたいな距離の友達に戻ることは不可能だってわかってたから
ただ好きな気持ちを隠しながら仲いい友達を演じるのに私は必死になってた
私の気持ちを言葉にすることはなかったのか
言葉にすることができなかったのか
はたまたその両方なのかもしれない
真夏の記憶
学生の時夏休みが待ち遠しくて終わって欲しくなかった
でも高校に入学して彼と出会ってからは夏休みが嫌いになった
何も無い日に会う約束をできるほど近くにいていい存在ではなかったから
彼には私以外の好きな人がいた
だからその2人を邪魔しないようにでも目の前でいい感じの2人を見てるのはほんとに辛かった
だからと言って告白する勇気もまたアタックする勇気も出なかった
私にとって嬉しくない夏休みが高校3年間のうち2回もあった
逆に休みの日以外は無条件に会えるから学校に行くのが楽しかった
結局夏休みは3年間一度も会うことはなく終わった
でもそんな私にも夏休みの中で嬉しい日があった
それは私の誕生日の日
私の誕生日は100%夏休みと被る
そして仲が良かった彼は人の誕生日を覚えることが苦手なのに私の誕生日を覚えててくれて毎年当日に連絡をしてくれてた
だから夏休み一度も会うことがなくても確実にその1日だけは連絡が取れた
そこから向こうがめんどくさくないかどうかを送る前に考えながらできるだけ長い時間連絡できるように話を引き伸ばしたりもした
今考えたら私は真夏の夏休みでもずっと彼が頭にいた
私の高校3年間はこの彼で溢れていたのかもしれない
やさしさなんて
優しさがどんな時でも優しいわけじゃない
私が高校3年間好きだった人はすごく優しかった
そんな彼を好きになったけど時に残酷だった
優しい彼が好きだったから日に日に好きになっていった
でも彼には別の好きな人がいる
私は好きな人の恋を応援しようと距離を取った
好きな人には幸せになって欲しかったから
でも高校3年生の秋別れたことを知って友達の距離に戻れた
でもしばらくして
私のことを好きになってしまったから別れた
と彼から聞いた
その時私はとても驚いたし私が好きだった彼が今私のことを好きなんて信じられなかった
高校三年生になってからは友達として接せられるようになって距離も自然とできていたから
なんで距離を取ってたのに急に私のことを?
そんな気持ちで溢れてた
あとから話を聞くと入学したばかりの時も1度私を好きだったらしい
でも私にはもっといい人がいるという優しさから諦めた
そんな優しさがなければ
入学した時からずっと私を好きでいてくれたら
何年も前から付き合えてたんじゃないか
私の失恋はなかったんじゃないか
辛い思いをすることはなかったんじゃないか
そうやって沢山考えた
私のことを思っての彼の行動は私にとっては残酷な優しさだった
またね
この言葉は別れる時に使う言葉の中で私が一番好きな言葉
さようなら、バイバイ、またね
全部似たような意味があるけど”またね”はその中で1番温かい
”また会おうね”
そんな優しい言葉が隠れてるから
会うのが最後だとしてもまた会えることを祈って私は”またね”を使う
留学に来てからは世界中に友達が出来たけど
その分別れも増えて次会えるかも分からない友達ばかりだった
そんな人たちとも離れる時は必ずまた会うということを自分自身と約束してお別れをする
出会いの数だけ別れもある
寂しくて辛いけど出会えなかった人生の方が何倍も辛いから私は別れさえも笑顔でできるだけしてる
1度離れたってまた会える
またね
泡になりたい
泡は自然と消えてなくなる
消えたくなくても勝手に
でもそれが羨ましい時もあれば惜しいと思うこともある
人間は簡単に消えられない
だからこそ辛い時死ぬほど辛い瞬間を感じることもある
そんな時は泡のように簡単に綺麗に消えてなくなることが出来たら楽なのにって何度も考えたことがある
でも辛いことがあるから幸せを感じられる
辛いことがなければ幸せだと感じられることもない
だってそれが普通になっちゃうから
そんなことを考えると泡もいいことだけじゃない
泡は消えたくなくても簡単に消えてしまう
幸せを感じることも出来ない
でも私たち人間は幸せを感じ辛いことも乗り越えることが出来る
感情を持てば問題も起きるし辛いこともあるけど幸せを感じられることが出来る
それを感じられるのは人間の素晴らしい部分だろう