【0からの】
「ゼロイチができるなんて凄いね」とよく言われる。何もないところから何かを創造することだ。
描画、作曲、設計、創作など。
きっとわたしはそういう作業が得意なのだろう。
だけど1から10に、10から100にすることの方が何倍も難しいことだとわたしは思う。
1を損なわずに何倍にもしていくのだ。人の目を引くにはその力が必要だ。
ただ作りだすなんて、小さい子でもできる。
例えば泥だんご。泥さえあれば丸くすることはできる。それをいかに大きく、綺麗に、価値のあるもののように見せるかは創造力よりも応用力が必要なのだ。
わたしは泥だんごを作ることはできる。
だけど、価値のある泥だんごの作り方がわからない。わたしが作った泥だんごを価値のあるものに見せられる人にお願いするしかない。付加価値をつけるのが上手な人に。
例えば言葉があるだろう。「この泥だんごは、世界で1番大きい川の泥を使ったものです」
例えば知恵があるだろう。「この泥には沢山の栄養素が含まれています」
考え方を少し変えると、何を0とするか、ではないだろうか。
何もない泥だけの状態を0とする。
泥だんごの状態を0とする。
みんなゼロイチをやっているのだ。
0からのスタートは決して無の0ではないのだ。
【バレンタイン】
イベントに左右されないあなたが好ましい。
男の子のあなたも。
女の子のあなたも。
思いはその都度伝えれば良い。
渡したいと思うものを他人と比べる必要なんてない。
もしチョコを誰にもあげなかったとして、誰があなたを冷たい人間だと言う?
もし誰からもチョコをもらえなかったとして、あなたの価値はそれで決まるわけがない。
イベントに左右されないあなたが好ましい。
普段通りのあなたが好ましい。
【誰もがみんな】
主語を大きくするのは嫌いだ。
わかった気になって話すのはおこがましい。
あなたのこともよくわからないのに。
ましてや自分のことすら全部わかっていると言えない。
誰もがみんな○○だ、なんてどうして言えるのだろう。
【花束】
わたしは花束が苦手だ。
人間の勝手な都合で摘まれ、寄せ集められ、重い想いを背負わされる。
花だって生きているのだ。
何の準備もしていないのに、急に渡されても困る。
犬や猫を突然預かってと言われたら困るでしょう?
ペットと花は違う?
もう一度言う。
花だって生きているのだ。
あなたの想いは花束じゃなくて、言葉で表現してよ。
花が好きなら、群生しているものを見に行こうよ。
蝶や蜂が命を紡いでいる花畑や花園へ行こうよ。
【スマイル】
「れいあはすごく素敵な笑顔をするね」
お母さんをはじめ、学校の友達や先生からそう言われることが多かった。
それからというもの努めて笑顔で過ごすようになった。
だけれど、笑顔でいることは良いことだけではないみたいだった。
「なんでいつも笑ってんの?」
「ヘラヘラすんな」
別に馬鹿にしているわけじゃない。傷つけたいわけじゃない。
どうしてわたしが笑っているのかなんて。そんなの…
正直驚いた。自分でもなぜ笑顔を作っていたのかわからなかったのだ。
なぜわたしは笑うんだろう?
頭の中は疑問符でいっぱいになり、グルグルと目が回る感覚に陥った。
それから少し時間が経ち、ようやく気がついた。
順番が違ったのだ。
小さい頃のわたしは純粋に楽しい嬉しいと感じたときに笑っていた。
その笑顔を素敵だと言われたのだ。
ああ、わたしは無理してたんだ。
無理に笑う必要なんてなかったんだ。
「れいあが笑ったの久しぶりに見た気がするよ」