形の無いものというと、「愛」とか「情」とか…
目には見えないけれど、それらは人によっても大きさも深さも形すらもそれぞれ違うだろうと思う。
もしかしたら人間にはほとんど感じないだけで、
動物たちは第六感とか超自然的な感覚で鋭く感じ取っているのかもしれない。
でも、きっと分からなくてもいいんだと思う。
人間には人間なりのコミュニケーションがあって、それは声だったり顔の表情だったり、または空気を察して読む能力がついてるから、そうやって他人と想いを通じ合わせていくのが、人間の戦略的な生存方法としてあるのかも。
すべてが形あるものばかりだと、案外つまらなく感じるかもしれない。
分からないからこそ、人間は面白いんじゃないか。
ジャングルジムのてっぺんまで登っては
そこへ腰掛けると、風が全身にあたって気持ちいい。
一緒に登った友達は「実は高所恐怖症で…」と途中までだったが、それでも登ってきたことが素直にすごいと思った。
ある程度の高さまでなら大丈夫だよ、とも笑っていたが、もし自分が高所恐怖症であったなら、途中まで登ろう!とチャレンジすらしなかっただろう。
そんなことを思い出した、子どもの頃の話。
私を呼ぶ声が聞こえる
今、呼んだ?と思う程度で、もちろんハッキリと言葉としては聞こえないが、なんとな〜く名前だけなら分かる。
きっと生まれた時から、何億回も呼ばれては一番聞き慣れている単語が「名前」だったからだろう。
だから、これを読んだあなたも。
発音しやすく、聞きやすく、呼びやすい名前だと嬉しい。
本名だと言いづらいなら、あだ名でも良い。
わたしが、これが私なんだと認識できるから。
食欲、読書、ファッション、スポーツ、それから恋の季節がやってくる。
毎日のように季節の果物が届いては、食欲を満たし
読書も電子書籍や、紙媒体の単行本を手に取る。
まだ暑さが残るけれど、お店には秋物も増えてきた。今年はどのような流行りなのかとチェックする。
…と、ここまでは楽しく秋を満喫していると言ってもいい。
まだやり遂げていないのはスポーツと、恋である。
運動音痴な私にはあまり乗り気になれないし、ここ数年は恋人もいない。
今年は秋恋ができるのか、それとも何かスポーツを始めることで出会いの機会も増えるだろうか。
大事にしたい
呼び方が二つあるのだが、この場合の大事とは『だいじ』であり、形容動詞の「大事」となる。
意味も少し異なるものがあるが-
文脈からして【価値のあるもの/大切に扱うもの】が相応しいだろう。
それは人でもいいし、物でも良い。哲学であったり、ポリシーなるものであってもいい。
わたしは?
私は…色々と考えを巡らせていたが
パッと思い浮かんだのは、直感。
そう、直感だ。
なぁんだ、答えは自分の中に既にあったのか。
直感。うん、悪くはない。
私の人生で、それが間違っていたことは過去に一つもなかったし、これからも必要となってくるだろう。
大事にしたいのは、直感を信じることだ。