貝殻というと、子どもの頃は写真立てに張り付けた覚えがある。
海辺ではお皿代わりに使ったり、他にもなにか再利用して使われているのでは-と思い、ググってみた。
すると、太古から装飾品として飾ってきたというのもあれば、意外にも化粧品や肥料、洗剤などにも使われているという。
ホタテの貝殻に限るものであったりするのだが、なるほど これも昔からのSDGsといっても過言ではない。
まだまだ可能性はたくさんありそうだと思わせてくれるし、貝殻は中身だけでなく、海からの贈り物なのだと思う。海にも感謝である。
地球にとっての人間は何のためにいるのかは分からないが、それでも人類の進化、それも地球が少しでも長く生き残っていくためには人間が頭を使っていくことなんだろうなと思う。
きらめきというのがどういうものなのかは、だいぶ後になってから分かることで、当時は実感も無かった。
大人になってから、今時の高校生が部活に頑張ってる様子を見ると、初めて「きらめき」があの子達に輝いてる-。
きらめきというのは、何かを頑張ってる人が笑って泣いてそれでも努力し続けている姿にあるのだと思う。
自分がきらめきたいと思うのなら、
・なりたい自分は何か、その目標を作ること
・そのためには何をすべきか
・そして、ただ目標に向かって実践あるのみ
・楽しい気持ちも忘れずに
最後の一つが一番大事なことかもしれない。
楽しいと思えるものだからこそ、どんなに厳しくても続けられるだろうし、
きらめきも楽しいと思えるからこそ、きらきらと輝くのではないかと思う。
些細なことでも、それが相手の一線に触れたなら
いつだって信用は失ってしまう
相手のことが嫌いになったわけでもない
性格の良さも悪いところも知っているから
それでも、たまたま些細なことで
あ、無理だ。と、あっという間に崩れ落ちてしまう
だから気をつけなければいけない
人間関係は何よりも繊細で一つずつ一つずつ信用を積み重ねなければいけないと思うものだから
難しくて厳しくて、時には疲れてしまうかもしれない
自分の余裕ができたときでいい
自分が一番大事だから
自分が相手と仲良くなりたい、絆を深めていきたい、相手の信頼を得たいと思うなら
些細なことからでも始めよう。
心の灯火が消えてしまったのは
身体が思うようにいかなかった頃だろう。
日常生活を取り戻すために、他には何も考えずにまずは身体を治そうと決めた。
だが、それは簡単に治るものではないらしいと、数年かけてだんだんと分かってきた。
おそらくは他人に混ざって働くのには向いていないんだろうなとは思うのだが
社会人として、義務として、働かなければならない。
それでも、わたしがもう一度そうなるためには、どうすれば良いのかさえもまだ分からない。
心の灯火がまた付くのはいつ頃になるだろうか。
まだか、まだかと早く付けたがってるのは何よりも自分なのに。
自分のことながら、自分が何をしたいのかも全然分からない。
誰か、わたしの心の灯火の付け方を教えて欲しい。
心の中はいつも、助けを求めている。
開けないLINE。
幸いなことに、私はまだその経験をしたことがないけれど、LINEがまだある限りはいつかは訪れることになるだろう
まだその日は来てほしくない。せめてあと数十年。
その時にLINEがまだあるなら、の話だけど。